Wednesday, November 21, 2012

One Direction 第2回 ピアノ教師 浦田彩・画家 西村佳子



One Direction 〜自分を信じて進む者たち〜


ー第2回ー 西村佳子さん、浦田彩さん

(右奥が西村佳子さん、右前が浦田彩さん。
左前が著者で、左奥は私と同じNPO法人かものはしプロジェクトでインターン中の甲斐雄一郎くん)

【経歴】
西村佳子(にしむらけいこ):1978年5月16日生まれ。京都府出身。愛知県立芸術大学油画科研修生2004年修了。日本で約5年間絵を書いた後、2012年3月に初めてカンボジアに来る。その後一度帰国し、6月に再度カンボジアへ来て、現在まで絵画の個展などを開催している。モットーは、「気負いせずにいつでも楽しんで絵を描く」

浦田彩(うらたあや):1982年1月23日生まれ。大阪府出身。4歳からピアノを始め、2002年にヤマハ音楽院を卒業。22歳の時に、コロムビアミュージックエンターテイメント(現・日本コロムビア)よりメジャーデビューをするも、すぐに解散。23歳でカナダに留学した時、再度音楽の楽しさを実感し、あるきっかけで訪問したカンボジアでピアノ講師を始める。仕事と両立して、音楽集団miloを結成し、カンボジアにおける音楽教育の普及と確立を目指して活動中。モットーは、「バイクとカンボジア人の男には乗るな」
milo facebook Page: https://www.facebook.com/milo.angkor


■カンボジアへのそれぞれの思い

齊藤:こんばんは!今回は、One Direction第2回目ということで宜しくお願いします!

西:宜しくお願いします! 

齊藤:それでは早速ですが、お二人がカンボジアに来た理由をお聞かせいただけますか?

西村:私は、旅行で初めてカンボジアに来たんですね。まぁ、もともとは友人とタイに旅行に来ていたんですけど、そのまま帰るのではなくてもう少し旅行したいな〜っていうのと、アンコールワット見たいな〜っていう軽い気持ちでカンボジアに来ましたね(笑)。

浦田:私の場合は、学校を卒業した後、22歳の時に当時のコロムビアミュージックエンターテイメント(現・日本コロムビア)からメジャーデビューしたんですね。女の子と二人組だったんですけど。それで1枚目のCDを出した時に、なんか燃え尽きてしまったんです。メジャーが目的で、それ以上がなかったので、次の目標を失ってしまったんですよね・・・。

そしたらピアノもやりたくなくなってしまって・・・それで23歳の自分の誕生日にカナダに行ったんです。それは、もうピアノを辞めるためでしたね。普通のOLとして働くために、頭を整理しようと思って。

齊藤:カナダでは何をされていたんですか?

浦田:語学学校に通ってました。あとは、普通にバイトとか。

齊藤:本当にピアノを辞めるつもりだったんですね?

浦田:そうですね。1月にカナダに来て、6月にカナダで大きなジャズフェスティバルがあるんです。そこに私の大好きな演奏者がいるのですが、来た時にこう考えたんです。もし、6ヶ月間、ピアノを一度でもやりたいと思ったら、見に行こうって・・・。

齊藤:つまり、今ピアノを続けているということは・・・

浦田:そう(笑)!やっぱり好きだったんですよ。それで、その時くらいだったかな。どっかのHPに、「アフリカとカンボジアの子どもに歌を届けよう」っていう企画があったんですね。それで、親にどっちなら了承してもらえるかって考えて、カンボジアに来ようと思ったんです(笑)。

齊藤:え?でも、歌を届けるってだけで来る必要性って無いですよね?

浦田:いやぁ、歌を書くならやっぱり現状を知らないとダメだなって思ったんですよ。だから、来たんです。

齊藤:なるほど〜!プロですね(笑)。





■子どもの時からの夢だったんだ

齊藤:なぜ今の仕事を始めたんですか?

西村:幼稚園くらいの時でしょうか。近所に絵かきのおじいさんがいたんですよね。もう85歳くらいの人で。その人が子どもに対して絵を教えていたんですよ。無料ってこともあったし、通っていたんですね。そこでずっと遊ぶように絵を書いていたら、気づいたら高校も、大学も美術の学校に行っていましたね。なので、なぜ今の仕事?と改めて問われると困ってしまうんですよね(笑)。なんていうか、自然な流れだったので。

浦田:カンボジアに行こうと決めて、一回カナダから帰ってから行ったんです。それが23歳の時かな。その時、ゲストハウスに宿泊していたんですけど、そこにカンボジアの子どもたちがいっぱいいたんですよ。当時は、常にピアニカを持ち歩いていたので、子ども達の前で簡単にですが演奏したんです。そしたら、大多数が無反応で(笑)。「失礼なやっちゃな〜」って思ったりもしましたよ(笑)。

演奏が終わって少ししたら、子どものおかあさんが来てこう言ったんです。
「そんなことを教えるくらいなら、日本語を教えてください。音楽なんて習っても何にもならないじゃないですか」って。

それが衝撃的でしたね。自分の中で。それで、「私ここに来なきゃいけない!」って思ったんですよ。


ピアノ講師っていう夢は、小さいころから全く変わっていないんですよ。10歳の時も、20歳の時も、今でも。佳子さんも言っているように、「これだ!」って思った時の感覚って忘れないんです。例えば、初めてピアノ教室に行った時の記憶とか今でも鮮明に覚えてるんですよね。そんな感覚を子どもたちに持ってもらいたいなって思って、今の仕事をしてます。


齊藤:仕事で楽しい事ってなんでしょうか?

浦田:日本にいると会えない人に、カンボジアでは会えるんですよ。例えば、世界の芸術家、世界の音楽家にこっちでは会えるんです。それは、カンボジアで仕事をしている楽しみですね。お互い国境を超えて深い話をしあえるというのは、日本ではなかなか機会が無いですからね。

西村:混沌みたいな土地だから出来るかもしれないですよね(笑)。

浦田:そんな感じ!(笑)。タイのバンコクまで行くと規模大きすぎるし、秩序が整っていて、ムリかなと思うんですよね。となるとやっぱり、カンボジアというまだ小さなコミュニティだからこそ可能なのかもしれませんね。

齊藤:音楽や芸術、スポーツは国境を超えると、世間では言われていますが、それを実感した時の経験を教えていただけますか?

浦田:私、毎月田舎の小学校に行って楽譜を見せるプロジェクトをしているんですね。田舎にいる子どもたちは、ドレミの存在すら知らないし、英語もほぼ話せない。私はあまりカンボジアを話せないけれども、カンボジアの歌は歌える。つまり、ドレミを覚えれば、たとえ言語が話せなかったとしても、世界中の歌が歌えるよって子どもたちに言うんです。

すると、「わぁ!」ってなるんですよね。それが面白いなって思います。

齊藤:こっちって音楽のクラスってないんですね。

浦田:ないんですよ・・・。午前と午後で別れて授業をしているので、時間がないんでしょうね。国語、算数、理科、社会を教えていると、音楽とか体育とか教えていられないんだと思います。

齊藤:ピアノ教室の現在の生徒数はどれくらいいるのですか?

浦田:約150名ですね。

齊藤:それって多いですよね!?

浦田:あっ、でもグループレッスンとかもあるので、そんなに多い気はしないかなと・・・。個人だけなら30人くらいですね。

齊藤:カンボジア人は生徒さんの中にいるんですか?

浦田:いることはいるのですが、個人レッスンの30名の内、2名だけですね。個人的にはカンボジア人に音楽を教えていきたいし、広めていきたいと思っているので、その部分を仕事以外の活動である、miloで行っているという感じです。

齊藤2人ですか・・・。やっぱり、富裕層の子どもなんですか?

浦田:そうですね。

齊藤:なぜピアノ何だと思いますか?

浦田:う〜ん。選択肢が他に無いからなんじゃないですかね。シェムリアップにあるのって、水泳とピアノとかくらいですからね。日本みたいに、バレエとかテニスとか・・・そこまで多様な選択肢がないので、ピアノを習っているんじゃないかと思います。





(今回は、marumというオシャレなレストランでのインタビューです。
子どもを守るNGOにて運営されているそうです。シェムリアップに来た際には、是非!)



■考えられる人になってほしくて・・・

齊藤:音楽集団miloについてお伺いさせて下さい。私自身何度かmiloの演奏は聞かせてもらっていますが、あの素晴らしい演奏は無料で実施しているんでしょうか?また、今後の方向性を教えて下さい。

浦田:いえ。一応、演奏するときには、「1時間いくら」という形で料金を取っています。それでも、欧米の演奏家さん達よりは格段に安いのですが・・・(笑)。今後の方向性としては、演奏料を貯蓄して、最終的にはmiloの音楽学校を設立したいと考えています。

齊藤:今一人、プロデュースをされている女の子いましたよね?

浦田:アッタイちゃんですね。

齊藤:そうです!とても声が綺麗で、最初声を聞いた時から、すごいなぁ〜って思ってました。

浦田:(笑)。

齊藤:アッタイちゃんは、どうやって発掘したんですか?

浦田:シェムリアップの日本人会主催の第1回盆踊り大会で、「のど自慢大会」をやったんです。それで、歌が上手いカンボジア人、日本人大募集!みたいなことをやってて。私は審査員として参加した時に、彼女が出場してたんですよ。当時15歳で中学3年生だったのですが、すっごくオトナっぽい声で、面白いな〜と思ってスカウトしたんです。

齊藤:今、彼女はどのようなフェーズにいるのですか?

浦田:丁度、高校を卒業したところで、今はカンボジアの日本企業で働いてるんですよ。

高校卒業までは、miloとして歌っても出演料はあげてなかったんです。その代わりボイストレーニングとかは、無料で受けられるようにしていました。

でも、今は立派な社会人なので、miloとして1回歌いに来たらいくらあげるっていうシステムを取ってますね。

齊藤:以前お会いした時は、プロになりたい!と言っていましたが、今は違うんですか?

浦田:んーそうなんですよね・・・(笑)。なんていうか、彼女は待っているんですよ。「miloが何とかしてくれる」って。そう思ってるんですけど、私はそうしたくないんですよね。自分で考えられるんですよ。でも頼ってしまう。もし、miloをNGOにしてしまうと、彼女を守らなければいけないじゃないですか?だから、団体をNGOとかにしたくないんです。あくまで、彼女に考えさせたいんです。

だから、私は待ってるんです。
「私、本気でプロになりたい!」って言ってくるのを。でも、彼女も待ってる。だから何も動かないんですよね(笑)。

齊藤:そこまで自分で考えさせることにこだわる理由は何なんでしょうか?

浦田:プロデビューって本当に大変なんですよ。売れる曲を作れとか、嫌な仕事もやらなければいけないし、変なコト聞かれても答えなければいけないんです。それらを彼女自身で乗り切って欲しいんです。となると、しっかり自分で考えて動けるようにしなければいけないんですよ。

齊藤:なるほど

齊藤:働いていて辛かったことはなんですか?

西村:やっぱり安定的な収入が難しいという点ですかね。どうしても月毎で変動があるので、そこは辛いなって思うことはあります。

浦田:絵もそうだと思うんですけど、この公式を覚えれば出来るっていうもんじゃないですよね、この世界って。1年で開花する子もいれば、5年経って開花する子もいる。逆に何十年やっても開花しない子だっているわけです。色々と指導法はあるんですけど、それが全ての子に当てはまるわけではないですからね。

だから、親御さんからすれば、「いつうちの子は上手くなるんだ」って話になるし、子どもからすれば、「いつ自分は上手くなるんだ」って話になる。でも、それは私にも分からないんですよ笑。とにかく続けてもらうしか無いわけです。

私は、発表会を毎年開催するようにしてます。その時、親御さんには必ず言うんです。子どもを絶対に褒めてくださいって。それは、やっぱり褒めないと子ども達がやる気をなくすんです。







■芸術、音楽の分野から社会貢献を

齊藤:今後の事業はどのように考えていますか?

西村:あまり深くは考えてないですかね(笑)。

齊藤:でも、社会貢献的な要素を入れたいというのはありますか?

西村:やっぱり、絵を子どもに教えるのは面白いな〜って思いますね。私が子どもに教えるだけじゃなくて、子どもから教わることもあるので(笑)。そういう活動は、今も少ししていますが、今後もやっていきたいなと思いますね。

浦田:私は、カンボジアに7年間くらい暮らしてきて、音楽は国境を超えるということをすごく実感しているんですね。英語がしゃべれなくても楽しめるとかね。なので、そういう感覚をカンボジア人に伝えていきたいなと思います。

あとは、「生きる」という時に、勉強だけでないということを伝えたいなとは思いますね。私自身、小学校の時は学校では目立ってなかったですけど、音楽教室では目立ってたんですね(笑)。なので、カンボジアでも勉強ができなくても音楽だったらクラスナンバー1みたいな状況を作れたらいいなと思います。

齊藤:今後のカンボジア、もしくはシェムリアップはどうなると思いますか?

浦田:そうですね・・・。シェムリアップに関しては、観光の街から芸術の街になると思いますね。ここって、古都で日本でいう京都なんですよ。なので、観光という要素もありながらも、芸術が伸びるのではないかと思いますね。 

シェムリアップというよりは、カンボジア全体として、今、伝統的な文化が消えそうで消えないっていう絶妙なバランスのところにいると思うんですよ。だから、今後おじいさんやおばあさんだけが知っているその文化を、どれだけ後世に残せるかが大事なのだと感じます。

西村:私としては、シェムリアップって色々な国と文化があるので、それがどうミックスしていくかっていうのは気になりますね。

齊藤:確かに、この国ってすごくカオスだなって思いますよ(笑)。

西村:うんうん。それがどう秩序づくのかっていうのは興味がありますよね(笑)。

齊藤:最後に若者に一言お願いします!

西村:「こっちの水は甘いんだぞ」ですかね(笑)。たまに苦かったりするんですけどね(笑)。だから、こっちに来てみたら?って思います。


浦田:来るって決めたら、親御さんの理解が必要なんですよね。なんだかんだ。でも、それを理解してもらった上で、来ようと思えば来られるし、生活しようと思えば生活できるんだって思いますよ。日本人って良い意味で良いステータスを持っている。パスポート一つあれば、どこでも行けますからね。だから、その良さというか、プライドを生かしてほしいなって思いますね。

齊藤:本日は、どうもありがとうございました!!



ありがとうございました!!




Sunday, November 18, 2012

第2回One Direction予告!!

こんばんは!ゆーすけです!!

大好評だった第1回One Direction〜自分を信じて進む者たち〜に続き、第2回のOne Directionが近日公開です!!

今回は、カンボジアでピアノの先生をしている方と絵を書いている方、二人の女性にお話を伺いました。

カンボジアでなぜ芸術の活動を始めたのか、自分が進む方向へのこだわり(信念)は何か。など今回も非常に興味深い話が満載です。

海外での音楽や絵の活動に興味のある方や女性の方は、特に必見です!

Saturday, November 10, 2012

−第1回− FSUNツーリスト社長狐塚芳明さん


One Direction 〜自分を信じて進む者たち〜
—第1回— 狐塚芳明(こづかよしあき)さん



(左から2番目が、狐塚さん。左から3番目は、ブログの著者)
【経歴】
197249日生まれ。獨協大学外国語学部卒業。東京都出身。学生時代に1年間過ごしたカンボジアで働きたいと考え、1997FSUNツーリストに入社。2005年から今まで社長を務める。
(FSUNツーリスト HP:http://blogfsun.blog120.fc2.com/)


■ご挨拶

齊藤 こんばんは!

狐塚 こんばんは〜!

齊藤 本日は宜しくお願いします。

狐塚 こちらこそ。

齊藤 早速インタビューに入ろうと思うのですが・・・
   97年に大学を卒業された後、どこの会社に就職されたのですか?

狐塚 今の会社のFSUNに入社したね。
   それを後になって俺が引き継いだって感じなのかな。

齊藤  なるほど。ちなみに、いつから社長をされているんですか?

狐塚 えーと、正式には、2005年からだね。

齊藤 ということは、97年に入社されてからは、約8年間社員として働いていて、
   2005年から本日まで社長をされているとうことですね?

狐塚 そうなります。





(今回のインタビュー場所、「YOKOHAMA」。狐塚さんが経営されているレストランです)

■カンボジアにハマっちゃった学生時代

齊藤 そもそも、なぜFSUNに入社しようと思ったのですか?

狐塚 カンボジアに来たのよ、学生時代に。

   その時に、「ここだな!」って思ったんだ。
   当時はバブル崩壊後で、大企業への就職が困難だったわけ。
   ソニーとかトヨタとか。
   結局さ、例えばどっかの何とか製作所とかしかなかったのよ。
   でも、そういうのが嫌だったのね。
   だから、外国行ってなんかやりたいなって思ったの。
   ほら、俺外国語学部だったでしょ?
   そんなわけで、外国語に対してこだわりがあってね。
   それでも、英語はみんな興味あって、競争激しいでしょ?
   だったら、カンボジア語(クメール語)で、って思ったのよ。
   それで、カンボジアを選んだわけ。

齊藤 でも、どうして学生時代にカンボジアに行こうと思ったんですか?

狐塚 うん。
   もともとはインドに行きたかったのね(笑)。
   実は、前の年にインドに2ヶ月くらい旅行しててね。
   「あ!面白いなこの国!」って思ったわけ。   
   だから、今度は1年学校休んで世界1周に行って、
   滞在するメインの国をインドにしようって思ったわけよ。
   だけど、
   その目にちょっとカンボジア寄ってみようと思って行ったら、
   そこで1年間も留まっちゃったわけ(笑)。

齊藤 え?インドへ行かずにですか(笑)?

狐塚 そうそう(笑)。カンボジアが非常に楽しくって。

齊藤 何が楽しかったんですか?

狐塚 人だね〜

齊藤 人ですか?

狐塚 うん。

齊藤 もうちょっと具体的に説明いただけますか?

狐塚 カンボジアのイメージって、地雷とかポル・ポトとかじゃん。
   めちゃくちゃ危ない凶悪な人たちがいると思ったらさ、
   正反対でみんな優しいじゃん。
   そこにハマっちゃったんだろうね。
   でも、そこには不思議な陰があってさ。カンボジア人って迫力あるでしょ?
   そこに魅せられちゃったね。

齊藤 滞在していたのは、プノンペン(カンボジアの首都)だったんですか?

狐塚 そうそう。

齊藤 何やっていたんですか?1年間。

狐塚 ホームステイしてたね。

齊藤 カンボジア人の家にですか?

狐塚 うん。  
   よく通っていたコーヒーショップがあってさ。
   そこで、英語ガイドをやっているカンボジア人がいたのね。
   そこの人が、今後日本語ガイドもやりたいから、日本語を勉強したいと。
   じゃあ、うちでホームステイしないか?って話になったわけ。

齊藤 お金とかは貰っていたんですか?

狐塚 いや、普通はこっちが払わないといけない立場でしょ?ホームステイだし。
   でも、あっちは大丈夫だっていうわけよ。
   それでも申し訳ないから、
   朝ごはんと夕ごはんの代金は払わせてくれって言ったの。  
   それでも、月50ドルだったけどね(笑)。

齊藤 じゃあ、日中は何をされていたんですか?

狐塚 日中は基本的にフラフラ観光してて(笑)、
   夕方は近所の小学校で日本語を教えていたね。毎回1時間ずる。

齊藤 ということは、その経験は自分の中で大きかったんですか?

狐塚 そうだね〜。
   初めてコンタクトしたカンボジア人が、
   ホームステイした大家族だったり生徒だったりしてたからね。
   それって観光じゃない部分でしょ?
   だから、すごく深いことまで学べて、
   カンボジアの良さや楽しさを植え付けられたって感じだね。

齊藤 なるほど。
   確かに、その経験からカンボジアを選択するっていうのは、
   必然的で理解できるのですが、旅行業界である必要性はないですよね?

狐塚 そうだね。

齊藤 その中で、旅行業界を選んだというのは、
   時代的にそれしかなかったからということなんでしょうか?

狐塚 うん、そうだね。当時は選択肢がなかったね。
   その時は、大使館かNHKかNGOか旅行会社かって感じで。
   いろいろ考えたけど、ハードルが低い旅行会社かなって(笑)。

齊藤 いろいろな旅行会社がある中でなぜFSUNだったのでしょうか?

狐塚 そうだね〜。
   日本で何社か面接してさ。
   その中で、当時のFSUNの社長が一番魅力的だったよね。
   当時の旅行会社なんてどれも小さかったからさ。
   一番楽しそうなところ行こう〜って思ったのよ。

齊藤 最初は、どういう仕事をされていたんですか?

狐塚 最初は、ガイドだったね〜。
   プノンペンとシェムリアップを毎回飛行機で往復してたよ(笑)。
   カンボジアに来たらアンコールワットは絶対に行くからね。

齊藤 ガイドの楽しみってなんでしょうか?

狐塚 うん。やっぱり、お客さんと話しできることかな〜。
   仕事としては、ガイドで説明しながらお客さんと話ししてるんだけどさ。
   それを超えて、
   「狐塚さん、将来どうするんですか?」とか
   「お客さん、何をされているんですか?」とか、
   そういう話しできるのが楽しかったな。
   あとは、こっちにいると日本では出会えないような人たちに会えるのね。
   芸能人とか、大企業の社長とか。
   その人たちとある種、対等に話ができる事が楽しかったな。

齊藤 じゃあ、何年くらいガイドをされていたんですか?

狐塚 メインでしていたのは、1年だけだね。
   それ以降もちょくちょくやってはいたけれど、
   主に旅行手配とか見積とかの事務職をしていたかな。







■暑っ苦しい人間関係の大切さ

齊藤 社長になる前と後で、違うなと思った点を教えてください。

狐塚 やっぱり、全然質が違うじゃん?
   その・・・それまでは不満しかなかったのね。
   ほら、上司がグワって怒るじゃん。それがよく分からなかったんだよね。
   それで嫌なヤツだなって思ってたんだよ。
   でも、自分が社長になってから、 
   「あっ、こんなことやってたんだ、この人」
   って感じるようになったな。
   上に立たないと分からないこと、いっぱいあるなって。

齊藤 具体的に上に立たないと分からないことってなんでしょう?

狐塚 例えば、資金繰りの心配だね。
   当時は給料が、月300ドルとかだったんだけど、
   黙っていて毎月給料がもらえるサラリーマンとは違うなって。
   もっと俺、稼がなきゃって思ったよ。

齊藤 それを感じてからは、やっぱり働き方って変わりましたか?

狐塚 すっごい変わったね。

齊藤 へぇ〜!どんなところがですか?

狐塚 社員だった頃って、メンドくさって思うことたくさんあるわけよ。
   こんなクダラナイことに、こんな時間かけるなんて!とかってさ。
   でも違うのよ、社長になると。
   どんな面倒なことでも、少しでもお金になると思ったら、
   徹夜してでもするのよね。

齊藤 はぁ〜

狐塚 自分の頑張りが会社儲け=自分の儲けに繋がるからさ。
   それは、仕事の質もそうだけど、人との繋がりにも影響したな。
   これまでは、なおざりにしていた人間関係も、
   社長になると気を使うようになるのよ、やっぱり。
   「〇〇さん!一緒に飲みましょうよ〜!」みたいにさ。
   もっと深い人間関係を作ろうとするんだよね。
   だから、「あぁ、この取引先面倒だなぁ」
   とかって思わなくなったな。
   人間は、イヤ事も含めて楽しくやっていかなきゃいけないんだって、
   その時スゲエ感じたな。

齊藤 やっぱり、仕事においては、究極的には人間関係なんですかね?

狐塚 今は時代が変化したから、
   顔を合わせるだけじゃなくて、FacebookやTwitterとかも
   コミュニケーションのツールとして大切だと思う。
   でも、やっぱり人対人で、
   涙流しながら抱き合うとか、
   飲み会で喧嘩したり語り明かすみたいな人間らしい行動、
   ハートに訴えかけるものは常に大切だって信じてるけどね。

齊藤 狐塚さん自身は、足りないものって何だと思いますか?

狐塚 う〜んそうだな・・・。
   俺は、どっちかというと
   人間らしいコミュニケーションに欠けているなって思うかな。
   他人の家に土足で入る的なダイナミックさは欠けていて、    
   もっとクールな自分なんだよね。
   よそよそしいとか言われること多いからさ(笑)。

齊藤 へぇ〜!なんだか意外ですね(笑)。 
   よそよそしい感じは、これまで接してきている中であまり感じないですもん。

狐塚 (笑)。
   でも、思うのは、
   自分の強みを「ガーン!」って思いっきり伸ばす方が良いってことかな。
   ダメな所を平均値に持っていくことも大切だけど、
   むしろそれよりも、良いところをめちゃめちゃ伸ばして、
   ダメな所が見えなくなるくらいにしちゃえば良いんじゃないかって思うよ。

齊藤 逆に自分のいいところって何だと思いますか?

狐塚 あー、そうだな・・・
   自分の信じることに疑いを持たずに、突き進むところかなぁ。

齊藤 具体的に何かありますか?

狐塚 例えばさ、カンボジアにいること自体だよね。
   日本の人からすればカンボジアって、
   まだ危ないとか汚いとか、そういう負のイメージでしょ?
   だから、日本に帰って家族と会うと言われるのよ。
   「親戚に、息子がカンボジアにいるって言いにくい。
   カナダとか アメリカにしてくれ」って(笑)。
   でも自分はそうは思わないわけ。
   「この国は良い国なんだぜ!」ってギャフンと家族を言わせたいよね。 
   「カンボジアなんですか!?シェムリアップなんですか!?
   メッチャカッコイイじゃないですか!」
   って言わせたいよね(笑)。






■人を育てられない会社では困る

齊藤 今、社長をしていて楽しい事ってありますか?

狐塚 うん。楽しいことが多くてね。
   こうやって、いろいろな人が話しを聞きに来てくれたり、
   自分がやりたいことをそのまま実現できることかな。

齊藤 なるほど。逆に辛いことってなんかありますか?

狐塚 人材育成の難しさ。
   カンボジア人は、モチベーション高いんだけど、
   将来が見えにくい社会なのよ。
   つまり、ビジョンが描きにくいし、それ故にあまり信用してくれない。
   だから悲しいなって思うこともあるよ。

齊藤 今後の事業の予定について、教えてください。

狐塚 事業に関しては、今やっていることを現地化させていきたいかな。
   かつ、俺がいなくなって現地化させた後でも、
   より経営状態が良くなることかな。

齊藤 現地化ってことは、自分が社長を退くってことですよね?

狐塚 そうだね〜。
   アドバイス程度はしてもいいけど、
   それ以外はなにも実権がない状態にしたいかな。

齊藤 なるほど。そこから2つの質問が出てくるのですが。
   一つは、なぜ現地化にこだわるのかということ。  
   そしてもう一つが、現地化させた後自分はどうするのかということ。
   いかがでしょうか?

狐塚 現地化ってことについては、
   いつまでも日本人がいなければいけない会社って
   ダメだなって思うようになったことがきっかけかな。
   結局さ、
   現地化できないってことは、人が育っていないってことでしょ?
   最近、会社として一番大事なことって、人を育てることなんじゃないかな、
   って思うのね。だから、現地化が一つの証明になるのかなって思うよ。

   次に俺が何をやるかっていうことについては、インドで事業をやりたいのね。
   それも一からやりたいね。ビジネスモデルは、たぶん旅行かな〜。
   まぁ予定だけどね。

齊藤 今後の人生っていう点では、やはりインドが拠点になるんですか?

狐塚 いや、そういうわけではないね。
   インドは、次の目的地ということであり、人生で考えるとそうではないかな。
   もっと地球人的な生き方がしたいなって思う。
   どこでも生きていける。躊躇なくどこでも行って暮らせる。
   そんな生き方をしたいなって思う。

齊藤 今後、カンボジアはどう変わると思われますか?

狐塚 インフラと教育。
   この二つが一気にこの5〜10年くらいで伸びるんじゃないかな。
   特に教育は、より多くの人が関心を持って、
   親が積極的に子どもを学校に通わせると思うな。
   一方で、この国の国づくりの軸がよく分からないから、
   政治や文化という側面では、どう発展するのかは予測立たないな〜。

齊藤 最後に今の若者に一言をお願いします!

狐塚 日本人とか東京とか出身大学とか、
   そういう小さい枠組みで考えるんじゃなくて、
   地球人という大きな枠組で、
   自分の価値観や想像力を膨らませるべきだと思うかな。
   20代っていうのは、ものすごく感覚が研ぎ澄まされているから、
   なおさらそれを信じて頑張るべきだと思う。
   海外に行くのも大事だけど、
   人の話をよく聞くとか、人に話しかけるとか、
   そういう身近なところからでも始められるから、やってみたらいいと思う。
   とにかく、インプットとアウトプットを躊躇せずに繰り返すこと。
   それをすることで、研ぎ澄まされるんだと思うよ。

齊藤 なるほど!
   今日は、お忙しいところ、本当にありがとうございました!


ー編集後記ー
「人が育っていない会社は、ダメだ」
この言葉が今回のインタビューの中で一番印象的だった。
「人が育たないのは、その当事者自身の問題だ!」とか
「会社は、自分の金儲けためにあるんだ!」とか
そういう話を聞くことがあるけれど、
この言葉で、そういう考えを持つ会社は、「ダメ」なんだなと思うようになった。
先日あるテレビ番組で、
「経営者として大切な事は何だと思いますか?」
と聞かれていた人がいた(その人は、これから経営者になろうとしている)。

その人は、こう答えた。
「お客様の笑顔です」

お客様の笑顔を作るには、従業員の満足、笑顔が欠かせないだろう。
そうでなければ、決してお客様を笑顔にすることは出来ない。
私はこの言葉を聞いたとき、この会社は、きっと従業員やお客様が笑顔で溢れる会社になるんだろうなと思った。


お金は確かに大切だ。狐塚さんも述べているように、お金がなければ会社は倒産してしまう。しかし、それは結果論でしか過ぎないのではないかと思う。
従業員の笑顔、お客様の笑顔があってこそ、お金がついてくる。そう思えてならない。

いずれ自分も人の上に立ち、人を育てることになる。
その時には、
「人が育っていない会社は、ダメだ」
という言葉を肝に銘じていきたいと思う。

自分も従業員もそしてお客様も、みな笑顔になる。
そんな組織を、私も作りたい。