Saturday, December 22, 2012

真のあるべきCSRとは何か?



真のあるべきCSRとは何か?





CSRに対する私の立場

CSRという言葉を、みなさんは聞いたことがあるだろうか。
この言葉は、今ではかなり一般的な言葉になってきているため、何の省略なのか分からなくても、なんとなくその意味は理解しているのではないだろうか。

CSRは、Cooperate Social Responsibilityの略語で、「企業の社会的責任」と日本語訳される。

CSRを論じる前に、そもそもの企業の活動について少しだけ述べたい。

企業は、社会からお金を得て、そのお金で生きている。
人々は、企業が提供するサービスにお金を支払い、そのサービスを享受しているのだ。したがって、企業が生き残るためには方法は一つしか無い。

そう。人々がお金を支払いと思うサービスを提供し、お金を得ることだ。

だから、CSRの必要性に懐疑的な論者は、よく企業活動の正当性を語る。つまり、企業の活動自体が既に社会貢献なのだから、わざわざ企業内で予算を組んで、社会貢献をする必要はないと言うのである。

私の立場を明確にしよう。
私は、企業の活動自体が社会貢献であるとする意見には、賛成する。ただし、したがってCSRは不要であるとはならない。CSRは、あって良い。しかし、それは本業に即した形であるべきで、自分自身、相手、そして社会の3方がwin-win-winの関係にならなければいけないと考える。

私が思うにCSRは、企業が現状行なっている事業を鳥瞰的に捉え、新たな可能性を模索する良いキッカケになると信じている。


CSRの歴史

CSRが登場する前、企業は自分たちの利益を最大化することだけを考えればよかった。もちろん、事業から社会に問題を産み出してしまっては、社会的な問題になる為、そういう点にはある程度気を使っていた。しかし企業の影響力はその企業だけ。それ以上を超えるということは無かったのだと思う。

そこに一石を投じたのが、メセナやCSRなのだと考える。これらの考え方は、実際企業のあり方を大きく変えた。メセナについてはあまり論じることはしないが、CSRのレベルまではいかないまでも、社会に自分たちの利益を還元することで、文化の擁護を促進しようとした。

近年、CSRをしていない企業は、社会的に悪なのでは?という考えが、社会、特に学生の間である気がしている。つい最近まで就職活動をしていて、企業のHPやパンフレットには必ずと言ってよい程、CSRの文字があった。

CSRへの関心が高まった背景としては、
1)企業の不祥事の頻発
2)企業活動の拡大とグローバル化
3)環境問題の深刻化
4)規制緩和の進展
5)市民の成熟
6)社会的責任投資の発展
という6つが列挙できる。

詳細は、『企業の社会的責任(CSR)—背景と取り組みー』(http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/issue/0476.pdf)を見てもらえればと思うが、私が特に大事だと思うのが、1)と2)だ。

日本におけるCSR元年は、2003年であると言われている。この年は、世界的な企業、エンロン社やワールドコム社が粉飾決済で破綻を余儀なくされた。また、日本においても三菱自動車のリコール隠し問題などが発覚、日本社会の中で、企業に対する不信感が漂っていった。

また、2)にあるような、企業活動が1国だけでなく多国籍に渡ることで、企業活動の影響がグローバルで出るようになった。特に途上国における企業活動の拡大は、児童労働問題や環境問題を浮き彫りにした。1997年頃に発生した、ナイキの不買運動などは、その一例である。

このような事が発生した結果、日本における企業は、2003年からCSR体制整備を始めた。具体的な企業名を挙げると、リコー、帝人、松下電器産業、ユニ・チャーム、キヤノンなどである。これが、2003年がCSR元年を呼ばれる所以である。


日経4紙に登場した、各言葉の増加数


 CSRを判断する5つの階層

さて、これまではCSRの歴史を述べてきたわけであるが、じゃあ会社自身が、自分たちの企業イメージを守るために、何でも良いからCSR活動を始めれば良いかといえば、難しい問題だ。

先述のように、CSRを意識している企業は数多くあるが、「真のあるべきCSR」を実践している企業はどれほどなのだろうか。

そこで、あるHPからCSRを判断するためのフレームワークを持ってきた。それが下記だ。



 各階層をそれぞれ説明してみよう。
1)法令に未対応
違法でない限り対応しない状態。CSRという概念を、そもそも持っていない状態。

2)法令を順守
規制による要請や強制、社会からの圧力によって受動的に対応している。こちらは「法令遵守」というCSRの最低限のこと受動的に行っている状態を指す。

3)法令を先取り
初期投資を上回る節減効果・ブランディングによる利益が得られ、変革に弾みがつく状態。具体的な活動としては、環境配慮商品・サービスの販売、CSR活動によるPR効果、信頼性の向上による取引先の増加など、金銭的なリターンも含めて、CSRが経営のプラスになると気付き始めた段階を指す。おそらく、殆どの企業は、ここで止まっている。

4)戦略への反映
CSRが企業戦略の策定・実行に当たっての中心テーマとなる。CSRを推進することで得られるメリットが明確になり、企業全体として体制づくりが急ピッチ進められていく段階である。キレイごとのCSRからビジネスとしてのCSRが本格始動する状態。継続的なコーズマーケティング(※)や、戦略的寄付、NPO/NGOとの連携など、どうしたら自社も儲けながら、ステークホルダーがハッピーになれるか、そんな動きが加速している。

5)目的や使命
CSRミッションそのものが企業の目的や使命の一部になる。自社の商品・サービスがCSR的であるかなんて関係ない。そんなの前提だから、というフェーズである。ここまで来ると、「戦略的CSR」という分類に入る。

(※)コーズマーケティング:企業の社会問題や環境問題などへの積極的な取り組みを対外的にアピールすることで顧客の興味を喚起し、利益の獲得を目指すマーケティング手法。


就職活動中感じたのは、3)の段階で止まっている企業が多いということだ。
CSRやっていて、地球に貢献しています!すごいでしょ?」
というメッセージが多くの企業から伝わってきた。

CSRは、必要な活動だ。それは否定しない。ただ、各企業の本業と沿った形で、且つ企業の戦略の一環として行われない限り、そのCSRは一過性のものに終わってしまう。大事なのは、「持続可能な社会」を創造するために、長期的な目線にたってCSRを実践しなければいけない。

■ファーストリテイリングから学ぶ、戦略的CSR

それでは、ここで、「目的や使命」のフェーズにいる企業の具体例を紹介したい。

ファーストリテイリング(ユニクロやジーユーを傘下に持つ)は、「全商品リサイクル」というものを実施している。これは、2001年に「フリースリサイクル活動」から始まったもので、2006年から回収対象をユニクロの全商品に拡大し、これまで期間限定だった活動を常時実施するようにしている、20118月までの活動実績は、1164.3万着の衣料を回収し、420.1万着の衣料を国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と協力して難民キャンプに送り届けている。
(詳しい活動は、こちら:http://www.uniqlo.com/jp/csr/
  



当活動は、難民キャンプへ衣料を届けて、衣料を必要としている人たちを支援するという形で社会へ貢献している一方で、本業への貢献をしている。実は、当活動を通じて衣料を配布する際に、支援国におけるマーケティングリサーチを実施しているというのである。つまり、当CSR活動は、社会への貢献だけでなく、自社の利益に(将来的であるが)直結している活動であると言える。


■今後の動向

CSR活動の今後の動向として、CSVという考え方が浸透してくるのではないかということだ。CSVは、Creating Shared Valueの略で、戦略的CSRとも言われる。先程のピラミッドでいえば、一番上がまさにCSVと言えるだろう(上記のファーストリテイリングの例もその一つ)。

CSVの基本的なコンセプト


CSRは、企業の発想力、競争力を表す指標にこれから成り得るのではないかと考えている。就職や転職、株式投資など会社を選ぼうとするときには、CSR活動を一つの判断材料にするのも、いいのではないだろうか。

真のあるべきCSRを実践している企業、私はそんな企業を応援していきたいと思う。



Sunday, December 16, 2012

One Direction 第3回 日本語教師 鬼一二三


One Direction〜自分を信じて進む者たち〜

ー第3回ー 鬼一二三さん

中央で教鞭をとる鬼先生。夜の最後の授業にも関わらず、疲れ一つ見せずに生徒に日本語を教えています


【経歴】
鬼一二三 (おに ひふみ)
1964年東京都生まれ。東京都立立川短期大学家政学科(現:首都大学東京)を1985年に卒業。富士通株式会社に入社。1991年に同社を退職後、ケニア共和国に在住する。1995年からカンボジアに住み始め、「一二三日本語教室」を開校。17年間シェムリアップにて日本語を教える。これまでに教えた生徒は、約2000人に及ぶ。
・一二三日本語教室:http://www.ijci.net/p/blog-page_86.html
特定非営利活動法人アンコールワット日本文化交流会:http://www.npokh.org/

■ケニアからカンボジアへの旅

齊藤:今回は、第3回のOne Directionということで、どうぞ宜しくお願いします!

:緊張しますね〜笑

齊藤:何言ってらっしゃるんですか(笑)。

:話がよく長くなってしまうので、上手く切ってくださいね(笑)。

齊藤:いえいえ、しっかり上手く全部の話を使わせていただきます(笑)。まず初めの質問ですが、最初にカンボジアに来たのはいつなんでしょうか?

1995年ですね。それまではケニアに住んでいました。

齊藤:ケニアでは何をされていたんですか?

:奥さんをしていました(笑)。ケニアは、毎日午後1時から7時頃まで、ずっと台所に立っていましたね、

齊藤:毎日ですか!?

:そうです。土曜日も日曜日も含めて。

齊藤:どうして毎日立つ必要があったのですか?

:毎晩お客様が来るんです。4人から8人くらいですかね。多いときでは10人以上もありましたね。

齊藤:どんなお客さんだったんですか?

:主にJICAの関係の方でしたね。夫がそこに務めていたので。みんな独身か単身赴任だったので、喜ばれましたよ。

ケニアって食文化が無い国なので、4種類しか食べるものがないんですよ(笑)。しかもシチュエーションに食べるものが決まっている。パーティーの時はこれ!とか普段食べるのはこれ!という風に。だから毎日同じ料理を食べているというわけなんです。

でも、日本人の場合そういうわけにはいかないじゃないですか(笑)。他のものも食べたい!っていうことになるんですよ。ケニアには、食材は豊富にあったので、それを使って料理していましたね。

齊藤:へぇ〜スゴイですね(笑)。

鬼:本当に色々な料理しましたよ。毎日レシピを考えるのが面倒なので、レシピ本を1ページずつめくって作っていました。こんにゃくや豆腐も作ったんですよ!

齊藤:(笑)。

:そんなことをしながらケニアにいて、ケニアの次の任務地にクロアチアかカンボジアのどっちにする?って夫に聞かれたんです。どっちも内戦が終わったばかりだったんですけど(笑)。

クロアチアはヨーロッパで寒いじゃないですか。でもカンボジアは温かい。私、寒いところは苦手なので、カンボジアが良いですって答えたんですよ。そしたらカンボジアになったんです(笑)。

齊藤:そんな理由だったんですね(笑)。




■私はこうやって日本語教室を始めた

:ケニアから日本に帰国する前、主人が既にカンボジアで働いていたので、子どもと一緒に立ち寄るように言われたんです。プノンペン3日間、シェムリアップ3日間という感じで。そしたら旅の最後に主人から聞かれたんですよ。

「プノンペンとシェムリアップのどっちがいい?」って。

それでシェムリアップと答えたんです。プノンペンは、バイクとかで騒々しいし、グチャグチャしているから、子どもを育てる環境としては嫌だなって思ったんですよね。一方のシェムリアップは、今と違ってのほほんとしていて、住みやすそうだなって感じたんです。

齊藤:なるほど。だからシェムリアップを選んだんですね。

:そうです。東京で渡航準備をしてカンボジアに出発する3日前くらいですかね、主人から電話があったんです。なんだろう?と思って聞いてみると、
「シェムリアップで日本語と英語を教えられるようにしてきてね」
って言われたんです(笑)。

私は、「良い妻」でしたから、「はい!」って答えたんですが、話し終わった後にどうしようって悩みました(笑)。日本語も英語も教えた事はありませんでしたから。

齊藤:(笑)。

:とりあえず本だな!って思ったので、紀伊国屋に行って本を何冊か買って、カンボジアに来たという訳です。

それで来てみたら、机と椅子が一式揃えられていて、主人に
「遺跡修復の関係者が日本語を教えて欲しいって言っているから、教えてみればいいんじゃないかな?」
って言われたので、分かりましたと。

齊藤:ご主人は、何故日本語教室をやってもらおうと思ったんでしょう?

:当時のシェムリアップには、私を含めて7名しか日本人がいなかったんですね。今は、約200名の日本人がいますけど。ケニアの時は、毎日料理をしていましたけど、こっちに来てからはその必要はありませんでした。カンボジアは食文化が豊富ですから。7名の日本人のうち、働いていなかったのは私だけだったので、教える時間は十分にあると考えてくれて、日本語教室を提案してくれたんだと思います。

齊藤:推測なんですね(笑)。

:そうですね(笑)。直接聞いたわけではないので(笑)。

齊藤:カンボジアに来てからすぐに日本語教室を始められたんですか?

:いえ、1ヶ月くらいはずっと部屋にいましたね(笑)。

齊藤:それってひきこもりですよね?(笑)

:違うんですよ(笑)。当時家では、スタッフと一緒に住んでいたので、食事をスタッフが作ってくれていましたし、出かける用事はなかったんです。それに、外はバイクがいっぱい通っていて、怖くて外に出る気にならなかったんですよ。いつ始まるか分かりませんでしたが、日本語が教えられるように準備しなければと思って、毎日教案を書いていました。

齊藤:ではいつから日本語教室を始められたんですか?

:一ヶ月後くらいからですかね・・・。ある時、カッコイイ男の子がベランダにいた私に向かって英語で声をかけてきたんです。「ハロー」みたいな感じで。それで、日本語を学びたいって言うわけです。私もいちおう準備はしていましたから、いつから来たいのか聞いてみたんです。そしたら、次の日の朝の545分だって言うんです(笑)。

私は、ビックリしちゃって(笑)。でも、本気かどうか確認したら、そうだって言うんで、「明日その時間に15人集まったら授業始めるよ」って伝えたんです。冗談半分ですよ、もちろん。

そしたら、次の朝、本当に15人で545分に来たんですよ(笑)。不思議な国だな〜って思いましたよ。

齊藤:どうやって教えていたんですか?

:英語を媒介語にすればいいと言われたので、英語を使用して日本語を教えていました。ただ、やっぱり難しい英語は理解できなかったらしく、その時初めて、クメール語での説明が必要だなって思いましたね。それまでも簡単な挨拶はできるようになろうと思って、会話の本を読んだりしていたんですが、それからは授業で使えるようになろうと、少しずつ勉強するようにしました。

齊藤:いつから喋れるようになったんですか?

:字を書くようになってからだと思います。こっち(クメール語)の発音って、字を書くと分かるんですよね。日本人には同じに聞こえる、「チャ」っていう2つの発音も、こっちの人からすれば全然違うんですよ(笑)。

当時5歳の息子は、なんら問題なく発音をしていましたけどね(笑)。

齊藤:ということは、結局この教室は自分でやりたい!ということで始めたわけでは無かったんですね(笑)?

:そうです(笑)。夫の赴任先であるカンボジアに付いてきて、そこで日本語教室をやって欲しいと言われてやり始めたので。だから、最近カンボジアへ来る人達はスゴイな〜と思いますよ。カンボジアに日本語教えたい!とかボランティアしたい!とか、そういう目的を持っていらっしゃるんですから。


■通ってきてくれるだけで、嬉しい。

齊藤:でも、17年間続けてこられたモチベーションはどこから来るのでしょうか?

続けようと思ってないですよ(笑)。毎日が楽しくて、それがずっと続けられている理由なのかなって思います。

齊藤:何が楽しいんですか?

:毎日、カンボジアのイケメンに会えることですよ(笑)。

齊藤:(笑)

:だって、ほとんどの生徒は知ってるんですよ、先生はイケメンが入ってくると嬉しそうだっていうこと(笑)。それで、先生は、女だから女より男の方が好きよ、普通のことでしょうって生徒たちに言うんです。

バレンタインの時なんて大ブーイングですよ(笑)。男の子にはチョコあげるのに、女の子にはあげないから(笑)。

でも、本当に嬉しいのは、毎日みんなが通ってきてくれることですよ。ここへ来るときの道、舗装されてなくてガタガタだったでしょう?今日は、雨が降っていないからいいですけど、雨が降ったときなんて、道が最悪ですよ・・・。街灯もありませんから早朝も夜も真っ暗なんです。それでも通ってきてくれる。こんな嬉しいことはありません。

齊藤:なるほど。

:うちの学校は、土日は休みにしているんですけど、祝日は授業をしているんです。生徒たちは、祝日でも普通に何らかわりなく来てくれるんですよ。ある生徒なんて、
「学校が祝日で休みだから、今日は一日中日本語を勉強するぞー!」
って言ってくれて、嬉しいですよ。本当に。

齊藤:なんでそんなに頑張って勉強していると思いますか?

みんな目的があるからだと思いますよ。日本語を勉強して、何かしたいっていうのがあるからなんですよ。

齊藤:みんな何をやりたいのでしょうか?

:昔は観光業、特にガイドだったんですけど、今は少しずつ変わってきています。まぁ、シェムリアップはそんなこと無いですが、プノンペンは日本企業が入ってきているので、そこで働きたいとかですね。あとは、日本に留学したいっていうのもあります。

齊藤:生徒獲得のために、何かされていることはあるんですか?

:いえ、何にもしていません(笑)。一人の男性がうちで日本語を習って、職を得たとしますよね。そしたら、その男性が今度は、給料から授業料を出してやると言って、彼の弟や甥っ子を学校に連れてくるんです。
「うちの弟だから、よろしく〜」みたいなノリで(笑)。なので、自然と集まってきてくれるんですよ。

人数で言えば、1週間に5人とかが来てくれますね。もちろん、辞めていく方もいるので、増えすぎるということはありませんね。辞めていく方も、基本的に職を得たからという理由です。

あまり、外には出ないんですけど、ちょっと市場に行ったりすると、
「先生〜!」なんてよく声かけられますよ(笑)。

ちょっと前に卒業生を調べて欲しいってことだったので、調べたら2,200人いましたね(笑)。

齊藤:スゴイですね・・・(笑)。

:ええ。だから、色んな所で活躍してくれているんだと思いますよ。



秋篠宮殿下ならびに同妃殿下も御来校されている教室です


■辛い過去を乗り越えて

齊藤:仕事で辛かったことってありますか?

:仕事で辛いことはないですね(笑)。

齊藤:ないんですか??(笑)。

:逆に齊藤さんはありますか?もちろん、大変なことはいっぱいありますけど、楽しさの方が大きいので、辛いと思ったことはないですね。

ただ、プライベートで夫と離婚した時には辛かったです。1ヶ月間はずっと泣いていましたから。中学生の頃から、お嫁さんになるのが夢だったんです。中学を卒業するときも、高校を卒業するときも、大学を卒業するときも、次のステップに行かないでお嫁さんになりたいってずっと思っていたんです。

そして、離婚っていうのは人生で一番してはいけない事だったんですよ、自分の中で。子どもが可哀想ですからね。そういうこともあって、辛かったですね。

齊藤:どうやって立ち直ったんですか?

泣いていた1ヶ月間でしたが、授業が始まる1時間前とかには自然と泣きやめたんです。授業が終わったあとは、泣いていたんですが・・・。せっかく通ってきた学習者の皆さんをがっかりさせてはいけないと思っていたんです。また、1ヶ月間経った時に、団体のお客様をシェムリアップとプノンペンに案内しなければならず、それをきっかけにようやく泣き止みました。

齊藤:仕事で気を付けていることはありますか?

:一つは、言葉だけではダメだということを教えています。言葉っていうのは、コミュニケーションをする、一つのツールなんですね。でも、あくまで複数あるうちの一つでしかない。言葉以外にも態度や姿勢が必要だなって思いますね。たぶん、言葉を教えているから尚更それを実感するんだと思いますが・・・。

もし、言葉だけに依存していたら、知らない単語があったらその時点でコミュニケーションがストップしてしまいます。でも、それじゃダメなわけですよね。じゃあどうするの?っていう部分を考えなければいけないのです。

二つ目は、綺麗であろうとしています(笑)。

齊藤:(笑)。

:だって、教わるならば先生が綺麗な方がいいでしょう(笑)?私だったら、教わるなら、男の先生で且つカッコイイ人がいいと思いますよ。そっちの方が、勉強したくなりますよ。

齊藤:今後の事業はどんなことを考えていますか?

:この学校が早く完成することですね(笑)。まだ建設中なので・・。建設に使う支援金がまとまってきた時に、その範囲内で建設するんですよ。今は次回分が未定なので、いつ完成するかは分からないのですが・・・(笑)。

齊藤:ファンドレイジングはしないんですか?

:そんなことをする時間がないですね(笑)。一日中ここで教えているわけですから。

ただ、いろんな方に言われて、東京にNPOを立ち上げたんですよ。でも、私はここ(カンボジア)にいるので、特に日本で活動できることもなく、年に1回の総会も知り合いが集まる程度ですね。



■自分の役割を理解する

齊藤:今後の人生はどう考えているんですか?

:あまり深く考えていないですよ(笑)。よく人から、カンボジアに骨を埋めるのか?と聞かれるんですが、それもあまり考えていない。カンボジアで日本語を教えてほしいという需要がある限り、私は教え続けます。

私たちは外国人な訳ですから、この国のお役に立てれば、居る権利があると思いますが、お役に立てないのであれば、この国に居る資格なんてないんじゃないかなと思います。

富士通に勤務していた時、5万人くらい社員がいました。働いている時に休みをとると、休みから帰ってきた時に仕事が溜まっていて、自分が組織の中にいる価値を感じていました。でも、私が辞めた今でも富士通は残っていますよね?要は代わりが効くんですよ。

じゃあ、今の状態はどうか?

今、朝から夜まで一人で先生を出来る人がいるかと言われたら、いないんですよ。先日、南海キャンディーズの静ちゃんが来てくれましたけど、半日授業を見学して、授業はしていないのに、ただ立っているだけでもすっごく疲れたと言っていました。それを考えると、1日中こうして日本語を教えられる存在は、すぐには見つからないと思いますよ。

齊藤:今後のカンボジアはどうなると思いますか?

:カンボジアよりも日本の方が心配ですよ(笑)。首相が変わって選挙があるわけですよね?今後の日本ってどうなるんだろう?って、そういうのをクラスのみんなと話してるんですよ。

カンボジアについていうならば、もっと多くの日本の会社がカンボジアに入ってくる。その時に備えて、ビジネス日本語をカンボジア人に教えてます。ガイドだけじゃない選択肢が増えたときに、すぐに対応できるようにしています。

齊藤:最後に若者に一言をお願いします。

:ゆとりの弊害なのかもしれませんが、もっと勉強してって思いますかね(笑)。

バーチャルな世界に慣れすぎている気がします。やらなくても、行かなくても、なんとなく経験出来ちゃう。それが良くないな〜って思います。

今、「デパートじゃなく化学のイオンが何か」とか「絹が何からできているか」とか大学生に聞いても分からないんですよ(笑)。

齊藤:僕もイオンは、理解してないですね・・・(笑)。

:ほら!(笑)今はインターネットで何でも検索出来ちゃうでしょ?でも、それって誰でも出来るわけですよ。バカでもね。

だから、例えば「今の政治は悪い!」なんて誰かが書くと、簡単にそれが正しいことなんだと思ってしまうわけです。考えることをしないんですよね、要は。何かあると、すぐにインターネット。これは怖いな〜と思います。

勉強してないから分からない。分からないから本が読めない。本が読めないから、すぐにインターネットで分り易い論調に乗せられてしまう。そんな流れがあると思いますよ。

今からでも遅くないから、基本的なことを学んで、自分で考えるっていうことをして欲しいと思います。私は、カンボジアにいながらも玉川大学の通信教育を受けています。今では、小学校の先生の資格や司書の資格を持っています。

常に学び続けることを、大切にして欲しいと思いますね。

齊藤:本日は、ありがとうございました!!






ー編集後記ー 
17年という長い期間、カンボジアに住んでいらっしゃる鬼先生。日本を離れてから、ケニア→カンボジアと過ごした人生の中身は、2時間というインタビュー時間の中でも、その濃さが伝わってきた。波瀾万丈な人生を乗り越え、今の教室を構えている鬼先生の姿は、まるで戦国時代を生き抜いた将軍のように、腰が据わっていた。

先生からの若者へのメッセージは、非常に私の心に突き刺さった。というか、自分の生活を見透かされたような感覚だった。インターネットがあれば、何でも出来る時代。パソコンを持ち歩いていれば何でも出来る時代が来てしまっている。確かにインターネットやパソコンは、我々の生活を便利にしてくれた。しかし、それは同時に、我々が苦労する、現場を見るということを取り除いてしまったのだと思う。苦労して本を読む。苦労して勉強する。実際の現場に行って起こっていることを自分の目で確認する。そんな大変なことをしなくても、すべてインターネットが解決してしまうのだ。

どうやら私たちは、インターネットやパソコンという便利な道具に助けられすぎているのではないだろうか。私たちがそれらを使うのではなく、逆に私たちが使われているのかもしれない。

苦労することは、時間がかかることだ。現場に行くことは、時間がかかり、時には危険な目に遭うリスクもある。しかし、そういう経験こそが人を成長させるのではないだろうか。効率化が叫ばれる社会だけれど、効率的でないことも重要性を再度認識しなければならない時が、来ているのではないだろうか。

きっとこの考え方は、これからどんなに便利な世の中になっても、忘れてはいけないことなのだと私は信じている。