Tuesday, January 29, 2013

One Direction 第6回 Artisan d'Angkor 丸山奉子


One Direction〜自分を信じて進む者たち〜
ー第6回ー 丸山奉子さん



【経歴】
丸山奉子(まるやま ほうこ)
1983年7月15日生まれ。静岡県出身。バンタン映画映像学院を2003年に卒業後、地元に戻りアルバイトを始める。1年後の21歳の時、アジアを巡る旅に出てカンボジアに住みたいと思い、現地のホテルにて7ヶ月働く。21歳の旅と時に出会ったカンボジアの男性と23歳で結婚し、6年間日本で生活をする。20121月からカンボジアで生活をし始めて、現在はArtisan d’Angkorにて働く。3児の母でもある。
Artisan d’AngkorHPはこちら:http://www.artisansdangkor.com/


■自分は何人?

齊藤:今回はOne Direction6回目となります。今回は、特に子育てという観点からお話が聞ければと考えていますので、どうぞ宜しくお願いします。

丸山:宜しくお願いします。

齊藤:早速ですが、カンボジアに初めて来たのはいつなのでしょうか?

丸山19歳の時ですね。当時は、バンタン映画映像学院という専門学校に通っていて、その時の友達とツアーでカンボジアに来ました。

齊藤:目的はなんだったのですか?

丸山:遺跡巡りですね(笑)。遺跡が好きだったので、遺跡好きの友達と共に来ました。また、『地雷を踏んだらサヨウナラ』という映画があるのですが、その元になった人物である一ノ瀬泰造さん(※)のお墓に行きたくて来ました。
(※)一ノ瀬泰造(いちのせ たいぞう):1947年生まれの報道写真家。カンボジア内戦を主に取材、共産主義勢力クメール・ルージュの支配下にあったアンコールワット遺跡への単独での一番乗りを目指していたが、アンコールワットへの潜入後消息を絶つ。1982年に遺体が発見され、1973年にクメール・ルージュに捕らえられ、処刑されていたことが判明した。
(出店:wikipedia: http://bit.ly/VmkWC8

齊藤19歳で遺跡が好きというのもスゴイですね(笑)。私は、まだ遺跡の良さが分からなくて・・・。

丸山:まぁ、好みがありますからね。

齊藤:確かにそうですね(笑)。一ノ瀬泰造さんは、いつ知ったのですか?

丸山:高校の時ですね。家でたまたま『地雷を踏んだらサヨウナラ』を鑑賞して、その時知りました。

一ノ瀬泰造さんのお墓に向かう時、トゥクトゥクの中から田舎の田園風景を見たんです。それに、すごく感動してしまって!遺跡よりもカンボジアの田舎の風景に惹かれましたね(笑)。その時に、カンボジアに住んでみたいなと感じました。

齊藤:なるほど。その時は、1週間ほどで帰国されたわけですよね?

丸山:そうですね。

齊藤:次にカンボジアに来たのはいつだったのでしょうか?

丸山21歳の時ですね。その時は、カンボジアだけでなく色々な国を回りました。韓国や中国、タイ、ラオス、ベトナム、そしてカンボジアを卒業して1年かけて貯めたお金で回りました。

齊藤:結構回られたんですね!旅に行こうと思ったきっかけは何だったのですか?

丸山:んー、海外についての色々な映画や本を読んだということがきっかけになっているとも言えるのですが、それ以上に「広い世界を見てみたい」と思ったからという方が大きかった気がします。

実は、私の父は韓国人なんですね。母親は日本人ですが。父親が韓国人だという事実は、小学校の高学年くらいまで聞かされていなかったんです。初めてその事を母から聞いたとき、「他人には黙っていなさい」と同時に言われました。

その時はあまり深く考えなかったのですが、段々大きくなるにつれて、その理由が何となく理解できるようになってきました。それで、自分って何人なんだろうって思うようになり、多くの国に行って様々な人に会ってみたいと感じて、旅に出ることを決意しました。

齊藤:旅に出たいと感じたのは、いつごろなんでしょうか?

丸山:専門学校時代ですね。

齊藤:専門学校時代に、「自分って何人なんだろう」ということを考える機会があったということですか?

丸山:そうですね。専門学校の時、同じクラスの中に母親が韓国人で、父親が日本人という友達がいたんです。でもその友人は、親が日本人でないという事実を、何の躊躇もなく周りに話すわけです。私はそういう事を隠そうとしていたので、疑問に思って、そういう事を公にして友人関係が悪くなるのが怖くないかと聞いてみたんですね。

そしたら、「そんな事で離れていく友人は、必要ないよ」と言うわけです。その言葉が非常にカッコよく感じられたんですよね。

在日韓国人という人たちは日本に大勢いるわけですが、実際に目の前にして会ったのはその時が初めてでした。その初めて会う人が、そういう考え方をして生きているということを知り、嬉しかったのを覚えています。そういうことがあり、自分って何かを知りたくなりましたね。


浅野忠信主演の『地雷を踏んだらサヨウナラ』。帰国したら鑑賞したい映画No.1です!


■人間、悩んでなんぼ

齊藤:旅に出てどうでしたか?

丸山:〇〇人とかって、本当にどうでもいいなぁと感じましたね。それぞれの考え方があって、それでいいんだということを思いました。

同じ国の中でも違う考え方があるわけですよね。だから何人かを見るよりも、その人自身を見ることの方が大切だと感じました。それで、「自分が何人か」ということで悩んでいる私が小さいなと感じ、自然とその問が解決していきました。

齊藤:今、お子さんがいらっしゃいますよね?

丸山:はい。3人いますね。

齊藤:丸山さん自身は、カンボジアの方をご結婚されて子どもを育てていらっしゃいます。子どもさんも日本・韓国・カンボジアの血が混ざっているわけですから、いずれ大きくなったときに丸山さん自身が悩まれた壁にぶつかると思うんですね。それについては、親として何か考えがありますか?

丸山:そうですね。私自身が乗り越えられた壁なので、私の子ども達も絶対乗り越えられると信じています。本当に悩んだ時には、旅に出てみて欲しいなと思いますね。それで自身の答えを見つけてもらえればと。

齊藤:日本人としてのアイデンティティが身につくまでは、日本で育てた方が良い、と世間ではよく言われています。それについてはどう思われますか?

丸山どこで暮らすかというのはあまり関係ないと思います。何を悩むべきか、何が幸せかというのは、親ではなくその人自身が決めることだと信じています。したがって、どんなに親が考えても意味がないかなと。

齊藤:分かります!

私は純群馬県人ですが、今から小さい頃にタイムスリップできるならば、絶対に海外で暮らしたいと思います。そっちの方が英語の発音や耳の慣れ方が全然違いますからね。何が言いたいかといいますと、結局人は悩む生き物なんですよね。悩まない方が異常なわけです。なので、大切なのはそこからどういう解答を導きだすかだと思います。

丸山:まさにそうだと思います。親の役目は、子どもが悩んだ時に一緒に悩んであげるということだと思います。しかし、それは決して答えを教えてあげるということではない。答えは子ども自身が出すべきで、親は出せるような環境づくりをすることが大切なのだと考えていますね。

齊藤:なるほど。今お子さんは、何歳ですか?

丸山4歳の男の子と、2歳の双子の男の子がいますね。5歳の息子は、インターナショナルの幼稚園に通っています。もうすぐ小学校なのですが、小学校は半日をインターナショナル、半日を公立というように通ってもらおうと考えています。

齊藤:そうなんですね!そのような進路を考えた理由はあるんでしょうか?

丸山:子どもにはクメール語は喋れるようになって欲しいんですよね(笑)。もっといえば、カンボジア人と普通に接することができるようにして欲しい。もちろん大きくなって自分で判断できるようになったら、子どもに進路は任せようと思います。






■出会って1年で結婚

齊藤:ご主人との馴れ初めを聞きたいのですが・・・(笑)。

丸山:はい(笑)。

齊藤:初めて出会われたのは、いつ頃なんでしょうか?

丸山:出会ったのは、旅をしている時ですね。ゲストハウスに宿泊していたのですが、そこのオーナーの親戚で、ゲストハウスで働いていたんです。ただ、その時は簡単な会話程度で、ご飯を食べに行くという仲ではありませんでした。

旅を終えて日本に帰国した後、シェムリアップで仕事を探すために再度カンボジアを訪れたんですね。その時に同じゲストハウスに宿泊して、仲良くなりご飯を食べに行ったりするようになりました。

齊藤:お付き合いは、カンボジアで職を探しに来たときに始まったということですね?

丸山:そうなりますね。

齊藤:日本では基本的に、「付き合ってください」という儀式が行われるわけですが、カンボジアではどうなんですか?

丸山:カンボジア同士は、周りからの影響で付き合っていると認識するみたいですね。二人で仲良くなっていくと、周りが「あの二人って・・・」と噂するようになり、結果的に付き合うみたいです。私のケースは日本と同じような形式でしたね(笑)。

齊藤:周りが騒ぎ立てる感じは、ちょっと実体験があるので分かる気がします(笑)。

丸山:(笑)。

齊藤 2005年に職を探しにこちらに来てから、2006年に結婚ですよね?スピード婚じゃないですか(笑)?

丸山:そうですね、早かったですね(笑)。

齊藤:決断できたのは、なんだったんですか?

丸山:んー、もともと私が、決断するのにあまり時間をかけない方なんですね。まずはやってみて、無理だったら止めればいいやと考えています。なので、当時好きでしたし、まぁいいかなと(笑)。あっ、もちろん今も好きですけどね(笑)。

齊藤:(笑)。仕事ならまだしも、結婚に対してもその考えを当てはめるのは、スゴイなと思いますよ(笑)。

丸山:そうかもしれませんね(笑)。

HALという専門学校のCMだったと思うんですけど、そのCMで「やりたい事をやらないで何やるの?」って言っていたんです。そのメッセージを今でも鮮明に覚えていて、自分もそうありたいなと思っています。人間いつか死ぬわけですから、やりたい事やった方がいいなと思いますけどね。

齊藤:なるほど。


■カンボジアの農村の良さ

齊藤:子育てをされていて大変なことはなんですか?

丸山3人も子どもがいるので疲れはするのですが、カンボジアでは家族との繋がりが強いので、何かあれば家族が助けてくれるんですね。今も(インタビュー中も)子どもは夫の実家に預けているのですが、やっぱり身内の方が自分も安心しますし、子どもにとっても良いですよね。

齊藤:家族が助けてくれるというのは、すばらしいですよね。私自身カンボジアで暮らしていて、人の繋がりの強さを非常に感じます。特に農村では家族はもちろん、村人たちが助けあって生活をしているというのを感じて、いいなぁと常に思います。

丸山さんが生活をされていて、カンボジアにおける人の繋がりの強さを感じた具体的なご経験を教えてください。

丸山:やはり特に田舎だからだと思うのですが、あるコミュニティに住んでいる人は、全員の顔を知っているんですよね。子どももしかりで、コミュニティの中の子ども皆が兄弟という感じです。だから、何処へ行っても心配しなくていいですし、子どもが悪いことすれば、自分の子どもじゃなくても怒ってくれるんですよね。

そういう意味で、カンボジアの農村での子育ては楽だなと思います。ただ都市に出ると、あまりお互い干渉できなくなって日本同様のことが起こっていますが・・・。

齊藤:となると、都市化が進んでいくといずれ日本と同じようになってしまうと思いますか?

丸山:そうですね。寂しい気もしますが、そうなってしまうのだと思います。

齊藤:文化や言語の違いで悩んだことはありますか?

丸山:んー、あまりないですね。自分で言語や文化が違い人と一緒にいると決めたわけですから、そこに対して悩むということはありません。自分で決めたことだから、仕方ないというか当たり前だと考えています。

齊藤:お子さんが育っていく上で、これだけは守ってほしい!というような要素はありますか?

丸山:「楽しいかどうか」だと思います。将来、どんな仕事に就いても辛いことや大変なことは絶対にあります。でも、どうせ辛いなら楽しいと思う仕事の中で感じる方がいいと思いませんか?

齊藤:確かにそうですね。




■好きなことを探して欲しい

齊藤:今後のカンボジアはどうなると思いますか?

丸山:「上の人たち」が何もしない限り、格差がどんどん広がっていくと思いますね。どこまで「上」かというは、難しいですが・・・。

齊藤:そういう現状に対して、丸山さん自身が何かしたいというのはありますか?

丸山:私、文章を書くのが好きなんですよね。今、クメール語を読み書きできようになりたいと思っていて、将来的にはクメール語でカンボジアについての本や文章を執筆できたらいいなと思います。内容は未定ですが、何かこの国に貢献できればいいなと感じます。

齊藤:今の若者に一言下さい!

丸山:自分の好きなことを見つけて欲しいと思います。その手段としての旅、特にバックパッカーをオススメします。色々な世界に触れ、色々な人に会って、自分が直感的に好きだというものを見つけて欲しいなと。

齊藤:それでは、最後に国際結婚をしたいと思っている方へ一言!

丸山:〇〇人とかは全くい関係ないと思います。結局、その人と合うかどうかなのだと思うんですよね。日本人と結婚しても、けんかや悩むことはあるので、それと国際結婚での言語や文化の違いからの悩みは一緒です。なので、自分が好きだと思うならば、その人と一緒にいればいいと思いますよ。

齊藤:ありがとうございました!!




—編集後記—
子育てについて聞くつもりが、時間の半分を丸山さんの価値観について質問してしまった。しかしそれは、私にとって非常に有益な経験談であった。丸山さんが経験されてきた「自分は何人だろうか?」という悩みは、今私が考えていたことに合致したからだ。

カンボジアに来て早5ヶ月、一緒に働いている同僚に対して、「カンボジア人だから・・・」という感情を抱くことは無くなった。同じ職場で過ごす仲間としてしか認識しなくなったのである。もちろん、日本人と比べればスキルが劣るところは必ずあり、その結果時間を多くとってしまう場合は大いにある。しかし、その事を考慮に入れたプランニングや、得手不得手を理解した上でタスクをお願いすればなんて事はない。

そんな自分でも「〇〇人」という括りで物事を語ることが無いといえば、嘘になる。私という人間を区別するとき、そのカテゴリーは様々なレベルで分けられる。家族、町、市、中学校、県、国、アジア、そして地球など、自分を区別するカテゴリーは、枚挙に暇がない。そこから、自分が生活している中で一番重要なもの(もっと言えば、私が何か遭ったときに縋るもの)は何かと聞かれると、「国」と答えてしまうだろう。

私はここに答えを求めていない。「〇〇人」という境界線を取り払い生活している人も居ていいし、「〇〇人」という境界線を意識して生活している人も居ていい。

ただ、私が大事と思うのは、これからの世界の流れの中を見つつ、自分の考え方を見つめ直していくことであると思う。今は、「〇〇人」を完全に無くすことはできないけれど、いずれ必要とされる日が来るのかもしれない。

「ガイジン」・「ホモ」をテーマに書いている興味深い記事がこちらにあります:

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