Sunday, January 20, 2013

One Direction 第5回 アンコールクッキー社長 小島幸子



 One Direction 〜自分を信じて進む者たち〜
ー第5回ー 小島幸子さん


【経歴】
小島幸子(こじま さちこ)
1972年群馬県生まれ。1990年に横浜市立大学商学部に入学後、大学3年時に1年間休学して日本語教師の資格を取得するために必至に勉強する。1994年に日本語教育検定試験合格後、大学へ復学。1995年に卒業後、地元の日本語学校に就職する。1999年、カンボジアに初訪問と同時に旅行会社で働き始める。2004年にアンコールクッキーをオープンさせ、現在に至る。
(アンコールクッキーHPhttp://www.angkorcookies.com

■とにかく世界に羽ばたきたい!

齊藤:本日は、One Direction第5回目となります。どうぞ宜しくお願いします!

小島:宜しくお願いします。

齊藤:インタビューにはもう慣れていますよね(笑)?

小島:ええ(笑)。もう数えきれないくらいしているので(笑)。

齊藤:なるほど(笑)。では、早速なのですが、初めてカンボジアに来たのはいつなのでしょうか?

小島1999年ですね。その時は、旅行会社で働くために来ました。

齊藤:旅行会社ですか?

小島:はい。でも、もともとは日本語教師をやりたかったんですね(笑)。

齊藤:(笑)。随分違う職業ですが、なぜ日本語教師を目指していたのですか?

小島:大学3年生になる前でした。将来のことについて考えたんですよね。当時、私はバスケット部に所属していてOBOGから卒業後の進路について聞く機会があったんです。すると皆が大企業に入社して、結婚して・・・と同じような人生を辿っていることに気づいたんです。その時思いましたね、自分の幸せってなんだろうって。もちろん、その生き方を否定している訳ではないんですよ。それはそれでいい。でも残念ながら私は、皆と同じように生きて、幸せになれるのだろうか?と思ったんです。

学生時代、中国などのアジアによく旅行に行きました。その時にアジアのパワーを見せつけられましたね。これから成長する!っていう勢いが、自分にとってとても刺激的に感じました。ただ、それと同時に貧富の格差も目の当たりにしました。毎日食事をまともに食べられない人々、住まいが不十分な人々・・・そんな人たちを見て、自分がどれだけ恵まれた境遇にいるのかを実感しました。たまたま日本で生まれたありがたさを、非常に感じたのを覚えています。

そんなことを感じてからですね。世界で働きたいと思ったのは。それで考えたのが日本語教師なんです。日本語教師ならば世界中のどこでも必要とされる。だから、資格を取りたいと思って1年間休学しました。

齊藤:勉強は大変でしたか?

小島:大変でしたね。日本語教師というと簡単そうに聞こえますが、実はそうではなくて、学ばなければいけないことがいっぱいあるんです。言語学とか音声学とか・・・。4月から12月まではとにかく勉強して、1月の試験に向けて猛勉強しましたね。

齊藤:なるほど。試験には受かられたんですか?

小島:はい、もちろんです。3月に合格通知が来て、4月から大学に復学しました。

齊藤:卒業と同時に旅行会社に来られたのでしょうか?

小島:いえそういう訳ではないんです。もともとは青年海外協力隊に行きたかったんですよ。だから、在学中も卒業後も、参加するための試験に応募したんですが、どうしても受からなかったんです。卒業後は地元に帰って、アルバイトをしてフリーターになっていましたね(笑)。

齊藤:(笑)。ちなみに、どんなことをされていたんですか?

小島協力隊にいけないなら、こうなったら自分でお金貯めて海外に行くしかない!と思ったので、1日中バイトしていました。朝はドーナツ屋さん、昼は酒屋さん、夜は居酒屋、そして深夜はファミレスといった感じで(笑)。睡眠時間も2時間とかでしたね(笑)。

そんなことを4ヶ月くらいして、その後地元にある日本語学校に就職をしました。

齊藤:そこではどれくらい働かれたのですか?

小島4年間ですね。働き出して3年目くらいの時ですかね。大学の友人たちと会うと、みんな社会でバリバリ働いているわけですよ。もう34年目くらいですから。一方の自分は、海外で働きたい!って言って普通に就職しなかったのに、今ここで何やっているんだろうって思うようになって、あまり人に会いたくなくなった時期がありましたね・・・。

そんな時です。日本語教師の雑誌が当時あって、そこに海外で募集をしている会社が掲載されていて、カンボジアの山本日本語学校を発見したんです。それで応募したのが、カンボジアに来るきっかけでしたね。

齊藤:あれ?でも旅行会社に就職して来られたんですよね?その時は日本語学校だったんですね?

小島:それには色々と訳がありまして・・・(笑)。山本日本語学校を見つけて、すぐに応募をしました。その時はもう本気でしたから、どうしてもやらせて欲しいという旨の手紙を、履歴書とは別に書いて送ったんです。そしたら面接をして下さって、その際に既に先生として採用したい人が別にいることを告げられたんです。その方は、私よりも10歳以上も年が上で、かつ海外での日本語教師の経験もありました。一方の私は、20代で海外での生活経験もなかった。それでも、私の手紙を見て下さり、会ってみようと思って下さったようです。

そしたら、今年はその先生を採用しようと考えている。ただ、1年間うちの旅行会社で働かないか?と言われたんですよね。もし問題なくカンボジアで生活できれば、来年教師として採用するとも言って下さったんです。

私はとにかく海外に出たかったもんですから、何でもやります!と答えて、それで旅行会社になったというわけです。

齊藤:なるほど。やっと繋がりました!




■アンコールクッキーへの道のり

齊藤:ガイドの仕事はいかがでしたか?

小島:今では日本人が200名程シェムリアップにはいますが、当時は10名程でしたし、日本語を喋れるカンボジア人ガイドも今のようには多くありませんでした。なので、手探りの中を何とかやっていましたが、とても楽しかったですよ!

今思い返してみると、ガイドを1年していたからこそ、交友関係も広がったし、クメール語も喋れるようになったと思いますね。

それで1年経って、約束通り日本語教師として山本日本語学校に採用されました。

齊藤:日本語教師として採用されたのが2000年で、アンコールクッキーの開店準備を始めたのが2002年とHPには書いてありました。やはり、この2年がアンコールクッキー誕生にとって重要な期間だったのでしょうか?

小島:いや、このビジネスモデルを考えつくという点では、2年間の日本語教師期間よりもガイドの時の1年間で感じていたことの方が重要でしたね。

お客様を案内していると常に聞かれたのが、「お土産無いの?」という質問でした。当時のカンボジアは、お土産といえばクロマー(カンボジアのマフラー)か市場で売っているお菓子だったんです。特に後者は、蟻が入っている場合があるなど品質の面であまり良くなく、他人にプレゼントするという点では好ましくなかったんです。そこで、一つ一つ包装されて人にも配れるくらいの質を持ったお菓子のお土産が望まれているな〜と思っていました。

実際、当時はカンボジアから帰国するときに立ち寄るバンコクの空港でチョコレートを買って帰るというお客様がたくさんいましたから、そういうのを見ていて、もったいないな〜と感じていましたね。

齊藤:なるほど。

小島:でも、ガイドをやっているときは起業しようなんて思っていませんでした。ただ、もったいないなと思っていただけで、そもそもは日本語教師になるためにここへ来ていたわけですから、そっちを頑張ろうと思っていましたからね。

無事日本語教師になって、2年間働いた中で一番印象的だったのは、当時教えていた生徒から「自分たちカンボジア人は、お金持ちは何でもできるけれど、貧乏人はどんなに頑張ってもチャンスはない」ということを聞いた時でした。

でも、私は「そんなことない!」って言いたかったんですよね(笑)。「諦めないで頑張らなくちゃダメだ!」って、そう言いたかったんです。

実際、山本日本語学校に入学できる生徒は、ある地域の中で優秀な成績を修めた生徒なんです。つまり、自分たち自身が頑張ったからこそ、今ここで学べている。それは諦めなかったからじゃないかと。だから、これからも諦めずに頑張ろうよって言いたかったんですよね。

だから、その時ですよ。頑張って働いたら、ちゃんとした生活ができるような場所を作りたいって心から思ったのは。

齊藤2年間働いて仕事が一段落した際に、このまま続けるかやりたい事を始めるか迷いましたか?

小島:迷いましたね。30歳を目前にして、30代をどう生きるかと悩みました。もしこのまま日本語教師を続けるなら、もっと専門性を磨いていく必要があるから、大学院に行かないといけないなと思っていました。でも、研究したいわけではないので、ちょっと違うかなとは感じてはいましたね。

頭を整理するためにも一度日本に帰国したら、やっぱりカンボジアで仕事を創ることをやりたいと諦めきれない自分がいて・・・。それでやろう!と決心しましたね。

齊藤:クッキーにした理由は何かあったんですか?

小島:先程の話の続きになりますが、お菓子のお土産というコンセプトはあって、最初はチョコレートかなと思ったんですが、すぐに溶けちゃってダメだなと考えたので、クッキーにしようと(笑)。チョコレートの次は、クッキーだと思っていたので(笑)。

齊藤:試作は大変でしたか?

小島:そうですね。お菓子ってとても繊細なので、少し材料が違うだけで味が全く異なってしまうんです。なので、3ヶ月間毎日市場に行って、材料は何を使えば一番いいのかを研究しました。




■小さな工房からの始まり

齊藤:最初のお店の様子を教えてください。

小島:お店をオープンさせた当初は、2人のカンボジアスタッフと私という小さな会社でした。場所も今とは違うメインの道路から少し外れた場所で、1軒屋の中に自宅兼オフィス兼工場がありました。最初は、今のような店頭販売ではなく配達での販売や観光バスの車内での販売をさせていただいていました。

齊藤:事業が拡大するときの最大の転機はいつでしたか?

小島:色々ありますが、強いて言えば店舗の場所を、今のところに移した時ですかね。それが2005年の8月でした。こちらに移してからは、お客様がゆっくり商品を見られるようになりましたし、試食もできるようになりました。買い物ってやっぱり楽しみたいじゃないですか?特に女性はそうだと思うんですけど。だから、移して正解だなって思いますね。

齊藤:確かに今のお店の中に入ったことがありますが、とても楽しめる内装になっていますよね!

小島今でこそ色々と工夫して販売できていますが、当時はそんなことはなく、本当に基本的なことしか出来ていなかったなと思います。少しずつ少しずつ投資をして、今の形に作り上げてきたんです。

齊藤:なるほど。長年の努力の結晶が、今ここにある店舗ということなんですね。




■人との繋がりを大切に

齊藤:仕事をする際に気を付けていることは何かありますか?

小島誠意を持って人と接するということですかね。

齊藤:キーワードは、「人」ということでしょうか?

小島:そうだと思います。先程のバスの中での販売の機会をくれたのは、私がガイドをしていた時にお世話になった方々や当時お付き合いさせていただいていた日本人の方々でした。

また、この場所に移動して来られたのは、最初にアンコールクッキーをオープンさせた時に借りていた物件の大家さんとここの大家さんが家族で、私に貸すことを薦めてくれたからなんです。それがなければ、当時韓国からシェムリアップへの直行便が飛び始めた影響で増え続けていた韓国人が借りていたんだと思います。

これまでを振り返ってみると、本当に人に助けてもらって来ています。だからこそ、他人に失礼のあることはしたくないと思いますね。

齊藤:先ほど、「諦めないで頑張らなくちゃダメだ!」」ということを仰っていましたが、そういうことも気を付けているんですか?

小島:気を付けているというよりも性格ですね(笑)。本当に負けず嫌いなので(笑)、自分の中で決めたことに対して、絶対にできないとか駄目だったとかって言いたくないんですよ。だから例えば、朝早く来てみんなと一緒に働き始めるというのを今は心の中に決めているので、どんなに眠くてもそこはしっかり出勤するようにしています。

齊藤:楽しい時はどんな時ですか?

小島:仕事をしている時が楽しいですね。というか、自分の居場所があるということが楽しいです。どんなに辛いことがあっても、自分の居場所があって、自分がここで必要とされているんだと思うと、嬉しいし、楽しくなってきますね。

齊藤:少し話がズレるのですが、最近の日本では自分の居場所を現実の世界ではなくて、バーチャルな世界(インターネット)に求める傾向にあると感じるんですね。技術革新のおかげで、人と会わなくてもメールやチャットで何とかなってしまう世界ができている。確かに人と会うというのはエネルギーが必要ですし、疲れもする。でも、本当に大切なことって、そういう現実の世界で自分の居場所を見つけることなんじゃないかなと思うのですが、それについてどう思われますか?

小島:んー難しいですね・・・。でも、なんでそんなにカンボジアが人気かって考えると、結局人との関わりを求めているからなんじゃないかなって思うんですよね。アンコールワットもあると思うんですが、カンボジア人の人懐っこさや優しさ、そういうものを求めているからなのではないかと考えます。つまり、日本人も本能的には現実世界での繋がりの重要性を感じているのではないでしょうか。

ただ、時代を逆戻りするっていうのは難しいことなので、カンボジアもいずれの時か日本のようになる気がしますよね。

話は少し違いますが、仕事の中で技術革新と人という対立軸で悩むことが、よくありますね。例えば今後の展開を考えるときに、ハンドメイド(手作り)にこだわるのか、コストダウンのために機械化していくのかというのがありますね。お客様はもちろん安く買いたいわけで、実際そういうニーズがあるわけですよね。

日本のように多様な消費者がいればいいですが、カンボジアではあまり商品の質やバックグラウンドにはこだわりを持つ方は、旅行者の方でもまだ少ない。となれば、大きな工場を作るなり、中国やタイなどから輸入するなりした方が安く上がるわけです。

もちろん、小じんまりとしたお店でやっているならいいですが、今のような規模でスタッフがいて、彼らの生活を今後も維持していくことを考えると、自分のポリシーとどれくらい折り合いをつけてやってかなければいけないのかを常に考えますね。

齊藤:なるほど。




■生きることは楽しい

齊藤:さて、今後の事業展開はどのように考えていらっしゃるのでしょうか?

小島:お土産市場については、今後あまり伸びるとは思っていないんですね。今のままか少し増える程度だと考えています。したがって、商品を増やして売上を伸ばすという方向では考えていなくて、食品という分野に広げてビジネスを拡大しようと思っています。

観光客が少なくなっても、カンボジア人はここで生き続けるわけですよね。そして、人が食べるということを止めることはないですから、日本的な質的価値をのせた食品を販売できたらと考えています。

齊藤;今後のカンボジアもしくは、シェムリアップについてどうなると思いますか?

小島:んー、どうでしょうね・・・。何にも言えないですね(笑)。ただ、平和でいてほしいなとは思いますね。平和ボケするのは、進歩が止まるので良くないと思いますが(笑)。

あと、このまま発展して東京やバンコクみたいな都市になるのは寂しいな〜と思いますね。都市ってどこも同じじゃないですか?東京もバンコクもシンガポールも・・・。高層ビルがあって、地下鉄が通っていて、デパートがあって・・・。食べられる物も、買えるものもどこでも一緒っていうのは、面白みに欠けるなと感じますよね。

齊藤:それを踏まえて、シェムリアップはこうするべき!というのはありますか?

小島:ないですよ〜(笑)。外国人である私が、どうこう言える立場にないですから。変わっていく環境に対して、面白いと思えば居続けようと思いますし、つまらなければ違うところへ行こうと思いますね。

齊藤2013年の抱負はありますか?

小島:最近、マダムサチコ基金というのを始めたんです。

齊藤:知りませんでした!

小島:いやいや、公にしてないので知らなくて当然だと思います。そういうのを広めるのがあまり好きじゃないので・・・。その基金で奨学金を出して、大学に行きたいと考えているカンボジア人を応援したいって考えているんですよね。なので、それの運用をしっかりしていきたいというのがありますね。

あとは、会社のスタッフが段々結婚して子どもを持つようになったので、その子どもを預かる施設を作りたいなと思っています。1軒屋を借りて、そこに保母さんのような方を常駐してもらい、手遊びなどを学んでもらえればと思っていますね。そうすれば、スタッフの子どもも面白いように成長するのかなって想像してますね(笑)。

齊藤:まさにマダムですね(笑)。

小島:(笑)。最初は会社の福利厚生として始めたとしても、23年すればビジネスとして成立するんじゃないかなって考えているんですよね。カンボジアには、まだそういう場がないですから、そういう形で働く女性を支援できたら面白いなって思いますね。

齊藤:最後に若者に一言お願いします!

小島「生きることは面白いよ」ってことですかね。日本にいると悲観的なニュースや出来事が多いじゃないですか。メディアから「日本はもうダメだ」と、生まれた時から聞いてますよね?でも、ある意味自分の心持ち一つなんじゃないかなと思いますね。同じことでも観点を変えてみることで、前向きに捉えられると思うんです。

私もこれまで色々と辛い思いしました。青年海外協力隊の挫折から始まり、日本語教師ではなく旅行会社になったり・・・。でも、その時々の状況を受け入れて前向きに捉え、一生懸命やれば結果として将来振り返ったときに、ちゃんと今に繋がっているんですよね。

「生きることは楽しいこと」だから、嫌なことがあって落ち込むこともあるけど、嫌なことを違う観点から捉えて。前向きに生きようと言いたいです。

齊藤:本日は、ありがとうございました!!




—編集後記ー
2004年から約10年間、一人で会社を立ち上げて今までやって来ている姿は、非常にたくましく、かっこ良く見えた。

「自責」
小島さんの性格を一言で表すとすれば、この言葉が最も適切だと思う。インタビュー中こんな話をしてくれた。

数年前、長年務めるスタッフが金庫から大金を盗み、姿をくらましてしまった。ご本人が日本に出張中で、帰国する前日に発生した事件。犯人の自宅にも食事などで行ったことがあり、信頼を置いていただけに、事件が起きたときとてもショックだったという。

もし私が同じ境遇に置かれたとき、どんなふうに感じるだろうか。もちろん、彼が犯行に及んだことへのショックもあるが、きっと彼に対して憤慨し、必ず懲らしめてやる!と思うに違いない。しかしながら、小島さんは違った。

「彼が犯行に及ぶのを、止められるようなシステムを作っていなかった私が悪い。彼がこの事を背負って一生を生きると思うと可哀想だ。」

私は驚きを隠せなかった。2013年の抱負として、責任を取る人間になると宣言した私であったが、他人が引き起こした極めて予想ができない事柄までも自分に責任があると言えるとは思えなかったからだ。

「人は失敗をするからこそ成功をする」と言われるが、ここまで失敗を自責と捉えて強烈に反省し、今後に生かす人はこれまでにはいなかった。

2013年の始まりに、抱負の一つについて尊敬すべき人に出会えたことは、本当に幸せなことである。これから1年間、少しでも理想に近づけるよう、努力をしなければならない。


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