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Saturday, June 7, 2014

20代で海外へ旅立つ

20代で海外へ旅立つ

 



先日、日本に帰国し、日本での時間を楽しんだ。
今回の滞在はこれまでと異なり長い滞在となったので、仕事もしかりであるが、プライベートでもゆっくりと過ごすことができた。

日本にいない期間が1ヶ月であっても、
帰国時のお寿司やラーメンは格別だし、日本人に囲まれている空間は安心だ(笑)。


今回の帰国で大きく異なったのは期間だけではない。初めて母校(立教大学)にて講演するという機会をもらったのである。

テーマは、『留学と就職』。
留学に興味のある学生が集まり、留学について説明を受ける場に、
今回経験者の一人として呼んでもらった。


40分という限りある時間の中で
どのように、何を伝えるかは、非常に考えに考えた(笑)。

依頼をもらってから当日まで約2ヶ月位はあったと思うけれど、
その間考えては悩みを繰り返していた。


テーマを4つに分けて話したので、
色々と話したことはあったけれど、一番言いたかったのは1つだけだった。

『人生の過ごし方に正解/不正解はないけれど、私は20代のうちから海外で仕事をすることをオススメする』

ということだ。

20代は何も失うものがない。確かに結婚していたり、子供がいれば別の話だが、そうでない限り何も考えずにチャレンジをすることが可能である。

30代を超えだすとどうしても年齢のことが気になる。地位やプライドがまとわりつき、あまりチャレンジをすることがし難くなる。
※「し難くなる」と言っているのであって、「できない」とは言っていない

失敗が許されるということはありえないが、それでも20代という若いうちの失敗は、自分の糧に必ずなる。早いうちから「海外で」失敗することは、歳を重ねた時に「海外で」成功することを達成しやすくさせるだろう。


「今は修行の身だから…」
 という理由で日本に身をおくのは勿体ない。

人生はあっという間だ。あっという間に40歳になり、50歳になり、70歳になり、90歳になり…死んでいく。

早くから海外を経験し、日本を相対的に見て、何をするべきかを考える。


私が思うに、これから日本で必要とされる人材は、世界で戦い、日本を相対的に見て何をするべきかを考えられる人なのではないかと思う。

決して、日本で育って、日本の有名大学に入り、有名企業に入社した人ではない。世界との関わりが今後もっと必須になる中で(これをグローバル化というのかな?)、政治家にしても企業の社長にしても、公務員にしても、必要なのはそういう人材であると思う。


今回の講演は100人くらい出席者がいたが、話を聞いて海外へ!と動き出すのは(留学でも海外インターンでもなんでもいい)、『2割の2割の2割理論』から、きっと5人とかそれくらいだろう。それでも先日、一歩踏み出した学生がいたと聞けたのは嬉しかった。


今は学生と社会人という立場だが、数年後、いずれの時か、その学生が社会に出た時に、出会えることを楽しみにしていたい。人前で話すことの醍醐味は、そういうものだと思う。

私自身、尊敬する人の講演を聞きに行ったりするが、そこで媚びを売るのではなく、その人を対等に渡り合える人物になって、出なおしてやる!と常に考えるものだ。


今回の講演のおかげで、また1つ自分自身が成長しなければいけない理由ができた。今後もそういう理由づくりを重ねていきたいものである。


Sunday, April 6, 2014

30歳という山の向こう側で

昨年、25歳を迎え30歳という山を見ながら生きるようになりました。

「人生はあっという間」
「人生は一度きりしか無い」


そんな言葉がハラオチして、
新たな人生を踏みだそうと考えたのは、昨年末のことでした。


2014年が始めってから4ヶ月が経ち、
1年の3分の1が過ぎたかと思うと、
時間が経つスピードの早さを実感せずにいられません。

シンガポールでの仕事がメインとなってから2ヶ月目に突入しました。
最初は持っていた旅行感覚での仕事気分は、今回の出張でスパッと消え去り、
この地に数年は腰を据えて仕事をするのだろうな…という実感も持ってきました。

海外で働くということは、
自分がかねてから望んでいたことであるので、
そういう機会をくれて会社には感謝をしていますし、
何より成果という誰にでも分かる形で、恩返しをしなければ!と
心から思っています。

とはいえ、
どの国であっても自分は数年で飽きるんだろな…
ということも感じていて、いずれの時かシンガポールという国をあとにして
異国の土地へまた働く場所を移すのだろうと感じてなりません。

それが自分らしい働き方であり、
それが自分の人生として正しいのだと考えるからです。


そんなことを考えると、
私は30歳という山の向こうでは何をしているのだろうと想像します。

「まずは30歳まででしょ!」

と数ヶ月前は言っていたのにも関わらず、
シンガポールに来てからというもの、
30歳近くのビジネスマンとお会いすることが多くあるので、
私の30歳という山の向こう側はどうなっているのだろう?と
考えずにはいられないのです。

(3月27日放送カンブリア宮殿より)


先日、カンブリア宮殿で『地方都市の再生』というテーマで、
高松丸亀町商店街のことを取り上げていました。

カンブリア宮殿とガイアの夜明けは、
基本的に毎週チェックしており、時に出演者の活動に共感し、
涙を流すこともあります笑。

今回についても、お涙を流してしまったわけであります。

少し話が変わりますが、
『涙を流す』
という行為は、とても神聖で大事なものだと考えています。

人はactor/actressで無い限り、
嘘の涙をなかなか流すことはないわけで、
そういう意味で涙は心の琴線に触れた証拠なのです。

したがって、
涙が流れた事象は、自分にとって本質的な何かであり、注目すべきことなのです。


話を戻して、
私はこれまでも『地方都市の再生』というテーマで扱われてきたものには、
涙とまではいかなくても目を熱くさせてくれるものがありました。

『これまでの負け組が、勝ち組に這い上がる』

というストーリーを自分でも創造したいと思う私にとって、
当該テーマはまさにやりたいことの一つなのでしょう。

30歳という山の向こう側は、
決して他人が決めるものではなく、私自身が設計するものです。

今回のことを受けて、
今まで『海外』で『ビジネス』という選択肢に、
『国内で(もっと言えば地元の群馬県で)』『政治という立場から』
何かをするという選択肢が加わった気がしました。

30歳という山まではまだ5年ありますが、

「人生はあっという間」
「人生は一度きりしか無い」


というキーワードを胸に、
これからも人生設計を考えていきたいと思いました。


では!

Thursday, April 3, 2014

社会人2年目突入!!

社会人2年目突入


お久しぶりです。ゆーすけです。


4月1日

先日から公式に就職活動がスタート(面接が解禁)したと同時に、
新社会人1年目の生活がスタートしました。

これから会社の門を叩くものと、会社の門を初めてくぐるもの
両方が同じ日にスタートを切るというのは、なんとも面白いものです。

社会人になって、 4月1日が1月1日よりもスタートする時期にとっては、
相応しい日なのだということを、今日初めて気が付きました。

実際新たなスタートという意味では、私の周りにおいて、
Facebookで退職報告をする人が思った以上にいたことに驚いています。
とはいえ、新たな人生を歩もう!と決断をしたその姿は、
なんとも清々しく、かっこ良く思えました。

ふと自分のことを振り返ると、自分自身も社会人2年目に突入したことに気づきました。
普段からスーツを着ていない私は、会社員なのですが、
なんだか会社員でない気がしてなりません笑。
それに加えて、すでに2社目である自分が、
社会人2年目と言っていいのかどうか分からないからなのでしょう。
(ニートを1ヶ月やった時もありましたしね…笑)

また、仕事もいい意味で趣味の領域に来ていて、
嫌なことも(苦手なこと)をしなければいけない時もあるけれど、
それ以上にやりがいをもってやらせてもらっている、
「今」が楽しくて仕方がありません。

改めて、自分がこうやってワクワクしながら働けているのは、
間違いなく、悩みながらも自分のやりたいことに素直になり、
それに対して素早く飛びつけたからなのだと思います。

最近、私自身が転職の経験をしていることもあり、
転職や就職の相談を受けるようになりました。

どうせいつか死ぬし、人生はあっと言う間なのだから
やりたいことに素直に、そしてすぐに飛びついた方がいい

(ただし、どんな結果になろうと人の責任に絶対にしないこと)

ということを常に言っています。
仕事の充実とプライベートの充実は、いずれにしても、
人生を充実させる手段でしかありません。

<仕事>
  • 年収がいい会社に入ること
  • 世界的に名の知られている会社に入ること
  • 海外で働くこと
  • 小さい会社を大きな会社へと成長させること


<プライベート>
  • 株で大儲けすること
  • 美人さん/イケメンと結婚すること
  • 海外で生活すること


なんでもいいですが、
「充実」とはあくまで主観的であって、客観的な基準ではありません。
自分がいいと思ったならば、それでいいし、他人が文句言う筋合いはないのです。

社会人2年目。
  • 責任ある仕事
  • 海外を拠点とした仕事
  • シェアハウス事業のお手伝い
  • 留学・就職・転職活動のお手伝い
  • 繋がる場としてのパーティー開催
  • 恋愛

もちろん全てが常に充実しているとは言えません。
しかしながら、私はこれからも自分の気持ちに素直になって、
常に笑っていられることをし続けていたいと思います。

それが社会人2年目の一つの目標でもあり、人生の一つの目標なのだと思います。

Tuesday, December 17, 2013

どうやって働く企業を選ぶべきかということ

選択に正しい・間違いはない

南場智子さんという方をご存知でしょうか?
DeNAを作られた張本人です。数ヶ月前、南場さんが本を出版されました。
『不恰好経営』という本です。


私はその本を2日で読み切りました。
その中にとても印象的な文章があったので引用したいと思います。
DeNAを退職して、文筆業になることを決めた方が書いた、退職日の挨拶メールです。


先日、大学時代の知人たちに「退職して文筆業に専念する」と伝えると、皆から「お前大丈夫か?」「将来ちゃんと考えているか?」と言われましたが、笑って聞き流しました。 7年前DeNAに就職することが決まったことを告げた時も、彼らは同じように言っていました。「お前大丈夫か?」「将来をちゃんと考えているか?」と。

「選択」に正しいも誤りもなく、選択を正しかったものにする行動があるかどうかだけなのだと信じています。 

「選択肢に正しい、間違いというのはなく、選択したあとに自分がどれだけ頑張ったかでそれが正当化されるかがきまる。

すてきな言葉だと思いました。

どっちの企業/どの企業に勤めることが正しいのだろう、という風に悩んでいた自分がバカバカしくなりました。そんなことよりも、自分が選択した事が正しくなるように頑張る事が大切なのだと、心の底から感じました。

大企業かベンチャーか

大企業でもベンチャーでもどちらでも働かせてもらった私でさえも、どっちが正解などわかりません。ここ(※)にも書いてありますが、そもそもベンチャーと大企業は全く違うものであり、必要とされることも学べる事も全く違います。したがって、結局は自分次第。どっちの方が自分らしく、楽しく働けるかを考える事が大切なのだと思います。

そしてなにより大切なのは、決めたら本気で取り組む事。前述通り、選択肢に正しい・間違っているはなく、結局は自分がそれを正しいとできるかが大切なのですから。

(※)ベンチャーか大企業か

私が大切にしたいと思う軸

第1回で既にお伝えしましたが、私が大切にしたいのは、


という点と「楽しいかどうか」という点だと思います。

それって論理的じゃないけど大丈夫?となりそうですが、私はいいと思っています。もちろん、既に出口が決まっているならば、それに向かって一番の近道を辿るべきでしょう。しかしそうでないならば、自分が心から楽しいと思える場を選べばいいのだと思います。

スティーブジョブズも語っていますが、自分のintuitionにしたがって生きていると、後ろを振り返ったときに、点が繋がっていたという話があります。3年後すらどうなっているか分からない時代に、「死ぬときにどのような状態にありたいか?」から考える事は、なかなかできる事ではありません。もし、そうであるならば、直感にしたがって生きる方が、結局は幸せになるのではないでしょうか。



私自身、大学時代からこれまでを振り返ったときに、驚くように点と点とが繋がっていました。大学2年生の時、なんにもなかった私に挑戦する機会をくれたコンサルティング会社の皆さんには本当に感謝しています。そこがなかったら今の自分はいないと、断言できるからです。

半年で退社した会社について、ムダだったか?と聞かれれば、「NO」と言うでしょう。あの会社で働けたから今の自分がいるし、こういうことを感じられる自分がいるのです。

もし、今の自分のやっていることに疑問があるならば、一度外を向いてみてはどうでしょうか?転職活動経験者として、何かお手伝いできる事があれば、いつでもご相談いただけばと思います。




Thursday, December 12, 2013

転職活動をして気づいたこと

転職活動という行為

日本ではどうも転職活動をすることに、ちょっとしたハードルがあるようです。また、転職活動をしたことがマイナスに映るのではないかと感じている方もいます。

私自身が転職活動を始めたのは、入社してから4ヶ月目のこと。とりあえずは、外の世界を(違う仕事を)見てみようと思ったのがきっかけでした。それで外の世界に憧れたらそっちに行けばいいし、もし今いる世界が好きだと感じられれば、そのままいればいいと思ったのです。

私の実質的な転職活動期間は、2ヶ月。その間に転職イベントと転職エージェント、企業への直接アプローチを行いました。

結局は自分で動かないと×

これはあくまで入社したての私が転職活動をした経験談ですが、結局自分で情報を取りにいき、自分から企業に売り込んでいかないとダメだな、と感じました。つまり、転職エージェントに任していては×ということです。
(たぶん、年収1,000万クラスの人は、勝手にヘッドハンターがいい案件をもってきてくれるでしょうが…)

一番驚いた(というかショック?)のは、転職エージェントでした。私はてっきり、自分の夢やこれまでの経歴を聞いた上で、どこの業態、企業であればやりがいを持ってイキイキと働けるのかを、付きっきりで相談に乗ってもらえるのかな?と思っていました。しかし実際はそうではなく、最初の小一時間で自分のことを話して、あとは企業を紹介してくれるだけ…。

「その人が、どうすれば幸せに働けるのか」

それを本気で考えて仕事をしているエージェントに出会う事はありませんでした。もちろん、そんな一人一人と向き合っていたら人件費がかかって儲けが出ない!と言うのでしょうが、それって寂しいなと感じてしまいます。

結局は、就活と一緒で、自分のやりたいことを考えて、自分の強みがどう活かされるのかを繋げる。この作業をとにかく繰り返すだけなのです。

働けなる前に転職を

前職に限らず、仕事が大変で病気になりそう/なったという方に最近お会いすることが多くなりました。そんなときに必ずお伝えするし、納得してくれるのが、「一度外の世界を見てみたら?」ということです。

前述通り、私も転職活動の最初の一歩は、「一度外の世界を見てみるか!」でした。そして、結果として私は外の世界に居場所を求めたのです。

一番もったいないのは、病気になって働けなることです。働くという行為は、良きも悪きも人間の人生の大半を占めます。民主主義の国家に住んでいる以上、「労働」という行為を通してしか、お金を得ることはありません。(生活保護とかもありますが…)

病気になって仕事ができないということは、「お金を得て生きていく」という手段をなくしてしまうということになるのです。

「人生を豊かにするために仕事がある」

仕事は、人生を豊かにするツールでしかありません。が、大切なツールです。であれば、その仕事は、辛く、病気になるものではなく、楽しく、面白いものにしたいと思いませんか?

「楽しく、面白い=簡単な仕事、楽な仕事」という意味では決してありません。それは人それぞれでいいと思います。

ただ、仕事が原因で病気になり、働けなくなりそうならば、転職を考えてもいいのだと私は思います。

誰に相談するべきか

私はあまり転職活動を他人に相談しなかったですが、本来はすべきだと思いました。これまでずっと一緒にいた友人やお世話になっている社会人の先輩など色々な人の意見を聞いて判断する方がベストな決断が下せるでしょう。もちろん、最後に決断するのは自分ですが…。

私も転職活動が終わってから、たくさんの人に相談しました。終わってからというタイミングが正しいとは思いませんが、時間があるなら相談して、自分でしっかり納得してから新しいところでスタートしたいという思いがあったからです。

ただし、あまりオススメしないのは、自分が勤めている人事や会社が抱えるサポートセンターなどです。理由は簡単で、彼らの仕事の任務は、いかに人を辞めさせないかだからです。

特にサポートセンターなんて、辞める人が多ければ契約を打ち切られることだってある訳ですから、なんとしても離職率を抑えようと努力するはずです。
もちろん、中立な立場からアドバイスしてくれる方もいることも事実なので、そこはケースバイケースですが…。

とにかく、自分だけで考えすぎない事です。
いろんな人の意見を聞いて、自分の強み、自分の素晴らしい点に気づくべきです。
(※)
「自分が思っているより美しい(You are more beautiful than you think)」という動画がありますが、まさにその通りだと思います。他人に聞いてこそ、自分の強さ、素晴らしさに気づく事が必ずあります。)



海外に居場所を求める

私はそこまで海外を回ったといえるとは思っていませんが、それでもアメリカ、スペイン、タイ、ベトナム、カンボジア、シンガポール、オーストラリアと見てきました。特に途上国で感じた事は、日本人が活躍できるフィールドはまだまだあるということです。

大学生の時など若いときに海外に行く事をよくオススメされますが、私もそれには大賛成です。

なぜなら、海外に行くと世界が広がるからです。大学、東京、日本という枠から飛び出し、世界に飛び出す。そこにはまだ見た事がなく、経験した事がない世界が広がっています。

企業に入ると、どうしてもその企業の範囲でしか物事を考えられなくなります。自分の勤務地が地方であればあるほど、平日・休日問わず過ごす人が同じ職場であればあるほど、残念ながらその枠を超えて物事を考えられなくなってしまうのです。私自身も、元々はそうでした。

しかし、ふと考えてみれば、我々日本人が活躍できる場は、日本ですら広がっている。ましてや世界には、もっと可能性が広がっています。もちろん、賃金や生活水準は日本と同様で、というのは難しいかもしれませんが、それでもやりがいがある仕事が外にあるなら求めるべきだと思います。少なくとも、枠から外に出られず病気になり、働けなくなるのだけはもったいなさすぎます。

転職活動は楽ではありませんし、本当に悩みます(笑)。今の仕事の方がいいのか、転職した方がいいのか…。どっちが正しいのか悩む事もあるでしょう。

ただ、「どっちが正しいのか」と悩む事が、いかに無駄であるか最近感じました。
それを次回でお伝えしたいと思います。

次回に続く…






Tuesday, December 10, 2013

私が前職を辞めた理由

久しぶりのブログ更新です。 

身の回りがバタバタしており、ずっとブログを書く時間を取れませんでした…。 一段落して、ある程度まとまって書きたいことができたので、 今回から数回に渡ってここ数ヶ月であったこと、感じたことをありのままに伝えたいと思います。 

最近、
「転職したの?」とか
「何してるの?」と嬉しいことに気にかけてくださる方が多いので、
しっかりと自分の現状を報告します。

また、入社間もなく自分の仕事に疑問を感じている人にも、何か為になる情報をお伝えできると思います。

なので、この数回のブログの対象者は、

  • 「おい齊藤、なにやってるんだよ!?」と感じている方 
  • 入社間もなく、仕事に疑問を感じている方
ということになるかと思います。

流れとしてはこんな感じの内容で書きたいと考えています。

  1.  私が前職を辞めた理由 
  2. 転職活動をして気づいたこと
  3. どうやって働く企業を選ぶべきかということ
 (※)執筆中にタイトルが変更になることがありますが、ご容赦ください。 

注意していただきたいのは、 これから数回に渡って書くことは、あくまで私見だということです。 「自分の体験談に基づいて書いており、絶対的な事象ではない」ということは、大前提とさせて下さい。

私が前職でやりたかった事

私の前職は、日本ではかなり有名なアパレルの会社でした。この会社とは、学生時代の時から知っていて、CSRに力を入れている面白い企業だな〜と感じていました。

就職活動時代、他の企業の面接練習になると思って選考過程に乗っかった会社に、まさか本当に入るとは思いもしなかったです。

当時の私は、

  • グローバルで働きたい
  • 途上国で仕事をしたい

という願望を強く持っていたので、そういう軸で就活をすることにしました。

グローバルで展開している、もしくはしようとしているいくつかの会社から内定をもらいましたが、その中でも、
「この会社の下で、途上国(特にカンボジア)で店舗を立ち上げたい!」
という目標が明確になった、この会社に入社することを決めました。

カンボジアで店舗を立ち上げて、ビジネスを展開することに成功したならば、

  • カンボジアの人の成長に貢献することができる
  • カンボジア政府としても優秀な人材が育ってくれることになる
  • 会社としても利益を生むことができる

と考えたのです。


海外の店舗で感じたこと

私は、就活が終わってからの半年間、カンボジアでインターンをさせてもらっていました。
NPO法人かものはしプロジェクトという主にカンボジアにおける子どもが売られる問題を解決するために活動している団体でお世話になったのです。

カンボジアでのインターンを終えて、日本に帰国する際、
私はタイ、シンガポールに立ち寄って帰国することにしました。理由は、海外にある就職先の店舗に行ってみたかったからです。いずれ自分がやってみたいことを既にやっている、会社の先輩方に会って刺激を受けたかったからです。

タイでもシンガポールでも、どちらもアポイント無しでお願いしたにも関わらず、快く話しを聞いてくれました。ある人は食事に連れて行ってくれ、ある人は忙しい中、仕事をしながらも話しを聞いてくれました。

海外の店舗は、殆どマニュアル化されておらず自分たちでゼロベースで考えることをしていました。CSRやセールの決定は日本のように本部が行うのではなく、自分たちで行うという点に、「面白い!」と感じました。

今でもfacebookを通じて、現地からの投稿を見ますが、スタッフと仲良く遊んだり、コミュニケーションを取っている姿が素敵だなぁと感じています。

そんな海外での仕事の仕方を目に焼き付けて、私は帰国をしました。

日本の店舗で感じたこと

日本では奈良の店舗に配属になりました。関西弁を喋りたかった私にとっては、とても嬉しい知らせでした。

日本の店舗で働いてみて、最初は楽しいと感じました。分からないことだらけの環境なので覚えることがいっぱい。手探りの中、他のスタッフの方に支えられながらなんとか仕事をしていたのです。

しかし、2ヶ月くらいが経った時、ふと
「何かちがうぞ」
と感じる瞬間がありました。その感覚は、日が経つに連れて大きくなりました。

その時は、すぐにそれが何なのか分かりませんでした。しかし、落ち着いて考えられるようになった時、それがはっきりしたのです。理由は、3つありました。

  1. マニュアルへの嫌悪感
  2. 刺激が足りない職場
  3. 疲れきった現場
(※)繰り返しますが、あくまで私が体験したことだということが大前提です。全ての場所で、こういう状況かどうかは私の知りえないことです。

マニュアルへの嫌悪感

企業が大きくなればなるほど、基本的にはマニュアル化を実施します。それは、利益率を上げるためには当然のことで、不思議なことではありません。ムダを徹底的に省き、右といえば右を向いてもらうためには、マニュアル化が必須なのです。

私はあまりマニュアルが好きではありません。なんだか、自分らしさを否定されるような気がするからです。

そこでは、挨拶の仕方、礼の角度、電話対応、商品の配置…殆ど全てにおいてマニュアル化がなされていました。

私がもうダメだ…と思ってしまったのは、
「ある商品Aの売上を上げるにはどうすればよいか」
を考える時でした。

コンサルのケースで出題されそうな、この課題。取り組み甲斐があると思っていました。しかし、実際に蓋を開けてみるとそうではなかったのです。

商品の配置は基本的に決まっていて、在庫数もある程度割り当てられている。POPは本部からの規定のものがあり、その設置方法も決まっている。ディスプレイもありますが、それも本部で規定されている…。つまり、自分たちができることは、せめて店頭での声出しくらいだったのです。

これって、誰がやっても同じだな…

それが私が感じてしまった点だったのです。

刺激が足りない職場

東京やカンボジアにいる時は、常に刺激的でした。
自己啓発のセミナーに出席したり、夢を本気で追いかける人や様々な業種の人に毎週会ったりしていました。しかしながら、職場ではそうはいきませんでした。他の業種の人と会うことはなく、夢を本気で追いかけている人も殆ど居ませんでした。

自分の夢を語ると、すごいね!と言ってくれて嬉しいかったですが、自分よりさらに上を行く存在を近くに置かないと心配になる私にとって、それは恐怖でしか無かったのです。

このままだと自分の炎が消えてしまう…。このことは私を焦らせました。

疲れきった現場

辞める一番の理由になったのは、コレでした。

私にとって一番の衝撃な出来事は、上司が欝になって休職したことでした。その時は、欝がこんなに近い存在なんだと思い知らされましたし、怖くなりました。

その後も欝ではないものの、体調不良を訴えるスタッフが数人出てきました。

その時、ふと感じてしまったのです。この日本のシステムはいずれ海を渡って海外いくだろう。そうすると、自分が幸せにしたいはずの人たちが不幸になってしまうと。

確かにこのシステムが必ずしも海を渡るという確証はありません。しかし、いずれマニュアル化していくであろう海外も、そう遠くはない未来、日本同様になる可能性があると感じたのです。

じゃあ本部に行けばいいと思いました。しかし、残念ながら日本全国に広まったシステムを簡単に変えることはできないと思いました。きっと少なくとも3年〜5年はかかるだろうと。

しかし、残念ながら私はそこまでやる気はないと判断しました。それならば自分で彼らを幸せにできる方法を考えてやる!と思い立ったのです。


マイナス面ばかり挙げてしまいましたし、これだとただの嫌な会社に見えてしまいますが、そんなことはありません。実際働いている方の中でも、一緒に働きたい!と心の底から感じたタイとシンガポールで出会った方々がいたのは事実ですし、多くのことを学んだのですから。

そんなこんなで、転職をすることを決めた私は、仕事をしながらも転職活動を行いました。今考えると、奈良から東京を何往復もしたことは、よくやったなぁと我ながら感じますが、それほど当時は必至だったのだと思います。

次回は、転職活動中に感じたことをお伝えしたいと思います。

P.S.
そういえば、今回のブログを書いていて、『面白法人カヤック』が、

「何をするかより誰とするか」

と言っていたのを思い出しました。

同じ会社にも関わらず、海外でお会いした人たちとは、心から一緒に働きたい!と感じた。それは、私が会社の事業とかではなく、「誰とするか」の部分で、この方達と働きたいと感じたからなのだと思います。

就活の時はそれほど大切だと感じていなかった「誰とするか」。今になって、その大切さと本当の意味が分かった気がします。



Saturday, May 11, 2013

『2割の2割の2割の生き方』とは?


お久しぶりです!
先日、東京での研修が終わり、本日から職場復帰します。
4日間の楽しい研修の中で思い出した、大学時代に聞いた『2割の2割の2割の生き方』の話を今回はしたいと思います。
自分自身ならどこまでどこまでやり抜けるか、そんなことを考えながら読んでいただければと思います。

ーーー
日本一の営業成績を持つ、ある保険営業マンのお話。

ある会社に務める日本一の保険営業マンが1,000名の前で講演会を開きました。テーマは、自分がどのようにして日本一の保険営業マンになったのかというもの。

2時間ほどの講演会が終了し、Q&Aの時間になったとき、ある一人の参加者が手を上げて、こう質問しました。

「本日は、貴重なお話をありがとうございました!1点質問なのですが、今回のように、これまであなたが培ってきた経験やノウハウを私たちライバルに教えてもいいのでしょうか?今後、日本一の営業マンになることが難しくなってしまうのではないでしょうか?」

講師は答えます。

「まずあなた方1,000名の内、私の話を実行したいと思う人は、2割に過ぎません。次に、その実行したいと思った人の内、本当に実行に移せる人は、その2割です。そして最後に、実行に移した人の内、継続的に私の言ったことを実行できる人は、さらにその2割しかいません。つまり、あなた方1,000名に講演をしても、本当に私の話を継続的に実行できるのは、たったの8名しかいないのです。いえ、もしかしたらもっと少ないかもしれません。したがって、例え8名が継続的に実行しても、たった8名ですから、何にも恐いことはありませんよ。」
ーーー

この話が伝えたいことは何なのでしょうか。

私は昨日まで研修を東京で受けていて、色々なことを会社側から教えてもらっています。会社側は、なんとしても新入社員に覚えて欲しいと必至に研修を行います。しかし、新入社員はどうなのでしょうか?皆、本当に教わったことを理解し、現場で実行し、継続しているのでしょうか?

『2割の2割の2割』の話は、まさにこのことを表しているのではないかと私は思います。

つまり、会社から日々教えてもらったことを自分の中に落し込み、実際に行動し、継続できるのは、本当に少数名しかいない。教わっている時は、「なんだ、簡単じゃないか。」と思っていても、実際に行動してみると、その難しさに気づき断念してしまう。もしくは、継続することが面倒になり、中断してしまう。

会社という組織体系を考えたときにピラミッド型をしているのは、基本的な会社の構造ですが、どんな人がそのピラミッドの上の階層にいるのかと考えれば、まさに『2割の2割の2割』の人なのではないかと私は思うのです。

私は決して、昇進するためには『2割の2割の2割』にならなければいけない、ということを説こうとしている訳ではありません。
私が伝えたいことは(私自身も現在挑戦中ですが・・・)、他人をよりハッピーにしたいとか、社会を変えようとか、世間で有名になろうとか、お金を他人より多く貰いたいとか、そういうことを実行するには、「相当な努力が必要である」ということです。

今現在、社会の中で注目されている方々は、きっと『2割の2割の2割』の人なのだと私は思います。学んだことを、実行に移し、継続している。そんな相当な努力をした人たちなのです。

『2割の2割の2割』になる必要があるか、と問われればそんなことは無いと思います。『2割の2割』だっていいし、『2割』だって良い。それは自分自身が決めること。

ただ、肝に銘じておかなければいけないのは、『2割の2割の2割』の人は、運や才能だけでそうなったのではないということです。そこには他人よりも多くの努力があることを意識しなければいけないのではないでしょうか。

さぁ、あなた自身はどのような生き方をしますか?







Sunday, March 10, 2013

大学5年間の振り返り&将来のプラン



大学5年間の振り返り&将来のプラン


【大学5年間の振り返り】




【将来のプラン】



■UNHCRユース
浪人時代、心に決めた言葉があった。
「You are happy, I’m happy」
直訳は、「君が幸せだから、僕は幸せ」だ。浪人時代、予備校の講師から貰った大切な言葉である。

人は、自分で自分の存在価値を認めることはできない。他人に感謝されてこそ、自分が生きる意味を見つけることができる。だからこそ、他人を幸せにするために、まず自分が頑張らないといけない。特に助けるための知恵、知識を獲得しなければいけない。他人を幸せにできた時、自分が幸せを感じる瞬間が訪れる。そんな意味を持った言葉だ。

大学に入学して、すぐに私は動き始めた。
「社会貢献」
それが、他人の役に立つために一番近い道だと思った。だから、大学のボランティアセンターや講演会、セミナーに出席し続けた。当時、自分の将来について考えるとき、漠然と海外で働きたいと思っていた。今では海外で働く仕事の多様性を知っているけれど、当時は田舎から出てきた一人の少年。海外で働くといったら、国連と外務省以外に思いつかなかった。そんなこともあり、「社会貢献」と「国連」というキーワードで団体を探した。結果として出会ったのが、UNHCRユース(現J-FUNユース)であった。

様々な大学から学生が集まるこの学生団体は、非常に刺激的で、また学生団体の無限の可能性を団体のイベントを通じて感じることができた。しかし、12月くらいを境にして団体から少し距離を置くようになっていった。それは、バイト、勉強、サークルなど他にやることがあったからという理由はあったであろうが、それ以上に本気で団体にコミットできていない自分が嫌だったからなんだと思う。それと同時に、自分の時間の殆どを費やすべき何かを求めていたのも事実なのかもしれない。





■J-FUNユース
2008年6月20日。世界難民の日である。毎年この日に、UNHCRユースでは事務局の交代が行われる。世界難民の日の1ヶ月前くらいだっただろうか、団体のメーリングリストから1通のメールが送られてきた。事務局募集のメールだった。ユースは立ち上げから3年目の節目を迎えており、学生団体として今後の活動範囲の拡大においても大事な年であったと思う。

そのメールを見たとき、直感的に「やってみたい!」と思った。前述の通り、自分の時間の殆どを費やせる本気になれる場を求めていたのと、全国約300名いる団体をまとめることが自分にとっての挑戦になると思ったからだ。

他3名の事務局、そして前事務局には本当にお世話になったと思う。就任してすぐに団体の名前を変更しなければならなくなった時には、団体の存在目的から始まり、団体の名前のアイディア出しなどやることがたくさんあり、連日のミーティングが続いた。J−FUNの皆さんの前で、「J−FUNユース」という名前を使用させて欲しいと頼んだ際には、前事務局の協力が無かったらおそらく成し遂げられていなかっただろう。

3年目を迎えたユースは、表参道JACKというこれまで伝統的にやってきた企画が実行できなかったけれど、それ以外の企画で団体を盛り上げようと努力とした。立教大学での学園祭企画、タイへのスタディツアー、都内のカフェを使用した展示会など、「学生ならでは」という視点を大切にして企画を創り上げていった。

1年間を振り返ってみると、褒める点と反省する点で言えば反省する点が多い期間であると思う。主な反省点は2つある。1つ目は、後に記述するカーボンフリーコンサルティング株式会社でのインターンとでコミット量が半分割され、どちら付かずになってしまった点。そしてもう一つが、1つ目の結果として他の事務局に迷惑をかけてしまった点である。

2009年12月から始めたカーボンフリーコンサルティング株式会社でのインターンであったが、そこで業務を始めたことで、明らかにユースへかける時間が減った。インターンを始める前、自分の中では何とかなるだろうとタカをくくっていたのであるが、結局何とかならずどっち付かずになってしまった。原因はいくつか考えられた。一つは自分の力を過信しすぎ、キャパシティよりも多くのタスクを背負ってしまったこと。二つ目は、ユースにせよインターンにせよ、計画を立てずに活動をしていたこと。三つ目は、自分の限界を自分で勝手に決めて、それを越えようとしなかったこと。そんなところであろうか。

そんなこともあって、ユースのメンバー特に事務局には迷惑をかけた。任務を終了してから1年後くらいに、
「あの時は寂しかった」と言われたときは、反省の念をとても感じた。みんなのためにと考えていたことが、実は自分のためであり、それでみんなに迷惑をかけていたという何とも本末転倒なことが起きていたのである。

ただ、そんな1年間の中でも学んだこともあったのは確かだ。タイへのスタディツアーへ行ったときのことだ。現地のNGO、FEDと一緒に学生たちとディスカッションをしたり、手紙交換をしたりしたとき、学生たちのキラキラした顔がとても印象的だった。ビルマから難民としてタイに来ている彼らで(実際には難民認定されていない)、生活にも満足していないにも関わらず、日本ではなかなか見られない笑顔を見られたということは、私にとっては驚きであった。それをきっかけに、途上国の子どもたちに対して「何か」を行い、笑顔にするという行為に興味を持ったのは紛れもない事実であった。




■カーボンフリーコンサルティング株式会社
2年生になって社会運動論という授業を履修した。そこでは、NGO/NPOについて学ぶとともに、社会起業家(ソーシャルビジネス)についても学んだ。これまで社会貢献を仕事としてするには、NGO/NPOのみだと思っていたから、ビジネスを通じて社会問題を解決できるとしたソーシャルビジネスは非常に魅力的だった。

友人を通じてETICというNPOを知った私は、説明会に行きインターンへの興味を抱いた。ビジネスを通じて社会問題を解決しているソーシャルビジネスの会社で働くことができたならば、自分の将来を考える際の重要な要素になるだろうと思い、カーボンフリーコンサルティング株式会社を志願した。J−FUNユースの事務局という大きな仕事を背負いながらのインターンは、やっていけるのだろうかという心配をETICのメンターの方にされたものの、「大丈夫です!」と言った自分がそこにはいた。

業務の内容は、排出権取引をB to Bで行うこと。B to Cも行ってはいたが、当時の主な業務はB to Bがメインであった(今は不明)。当時はまだ新しかった排出権取引という仕組みを使い、カーボン・オフセット行い企業のCSRを応援するというものだ。排出権取引という制度に初めて向き合ってみて、複雑な部分も確かにあったが、その仕組みとそれがもたらす効果については非常に興味をそそられた。

インターンを通じて、排出権取引の制度を理解することができたのはもちろん、優秀な社員の方やインターン生に囲まれて、ビジネスの難しさや楽しさを学ぶことができた。唯一残念だったのは、メンターの方が懸念していた通り、ユースとの業務配分が上手く行かず、中途半端になってしまったという点だ。今思えば、もっとやれたはずだと思うものの、当時の自分からすると頑張っていた”つもり”だったのだろう。

それでもカーボンフリーコンサルティングでの経験がなければ、今の自分はないと断言できるくらい、この経験には感謝している。この経験無しには、アメリカでのインターン、就職活動、そしてかものはしプロジェクトでのインターンはあり得なかったといっても過言ではない。そういう意味で、カーボンフリーの皆さんには本当に心から感謝をしている。





■WMU(Western Michigan University)
高校生の時から憧れていた留学。兄・姉と期間に違いはあれど留学していたこともあり、私自身も自然と留学を意識するようになった。留学に必須の資格、TOEFLの点数獲得は容易ではなかった。読み書きを懇切丁寧に指導してくれる日本の英語教育は、確かにTOEFLでも力を発揮した。しかしながら、リスニングとスピーキングについては、事実日本人がもっとも苦手とするところであり、日本人が英語教育を中学・高校と最低6年やっても全くしゃべることができないのが現実だ。私は中学の時から英会話スクールに行っていたから、他人よりは喋ることができたものの、それでもテストとなると点数はあまり芳しくなかった。

数回の挑戦の結果、アメリカの大学への留学の切符を手に入れたのであった。今思うと、成熟しきっているアメリカよりもシンガポールなどの成長している国に行く方が楽しいとなるだろうが、当時の私には留学=アメリカという式が成立していたこともあり、それ以外を選ぶというのは考えられなかっただろう。

広大な土地を持つアメリカは、何もかもが大きかったのを覚えている。道路や建物、食事、人(笑)、日本という小さな国からは想像できない世界がそこにはあったのである。渡米して最初に感じたのは、自分の英語力の無さであった。まず聞けないのだ。何を言っているか速すぎて分からないし、口語表現は習ったことすら無い。だから、授業にしてもネイティブとの会話にしても非常に苦労したのを覚えている。レコーダーに授業の音源を記録して部屋で再度聞きながら勉強し、困ったときはルームメイトのインド人に助けてもらった経験は、思い返すと懐かしいし、インド人の友人はよく助けてくれたなぁと思う。

アメリカの大学が環境配慮に努めていると知った時は、正直驚いた。アメリカといえば、京都議定書を批准せず、二酸化炭素を大量に輩出している国であるというイメージがあったから、大学だって同じだろうと想定していたのだ。しかし、現状は違っていた。国中の大学が二酸化炭素を如何に減らすかに腐心し、環境配慮が優れた順にランキングが付けられていた。

実際留学先の大学では、学生から“Environmental Fee”と称して毎ターム4ドル(だったと思う)を徴収し、ファンドレイズを行い、それを大学が持続可能なものになるために使用していた。しかもその“Fee”を徴収すること自体は、学生たちの間で選挙を行い決めたという。

そんな環境を気にしている大学で環境学科の授業を履修し、後にインターンでお世話になる教授や環境意識の高い学生と出会えたことは、私にとって有意義であった。

留学を通じて感じた一番の反省点といえば、自分の殻にこもり過ぎていたことだと思う。当時の私は(今もそうかもしれないが(笑))、尖っている人をバカにするような態度を取っていたと思う。今の考えの根底は、「一生懸命に生きている人は、みな平等であり、尊敬されるべき」というものであるが、当時の自分はそうではなかった。やがて自分の殻を破ろうとせず、アメリカらしい遊びや習慣に参加することを拒んでいたのだと思う。のちのち気がついて方向修正を図ったものの、それでも失われた経験はあったわけで、非常に勿体無いことをしたと思う。

ただ、留学を通じて一生付きあう友人を得られたことは、私にとって非常に大きなことであった。みんなで集まってピザを食べたり、誕生日を裸になって祝ったりした経験は今でも忘れないし、そんなことを思い出す度に良い友人と出会えたなとしみじみ思う。2年経った今でも付き合いがあるし、社会に出たことでバラバラになっているけれど、要所要所ではこれからも集まってワイワイやるのだと思う。この場を借りて、今後とも宜しくと伝えたい。







■  Office for Sustainability
前述の通り、私は留学中環境学科の授業を履修していた。その中でもDr. Glasserの授業は自ら直談判して入れてもらった授業だった。授業の中身は、「大学を持続可能なものにするために何ができるのか」を考える実践講義であった。生徒たちの中で興味のあるテーマを選び、それを基に調査を行い、最終的に授業で発表する。それがやるべき事であった。

私が選んだテーマは、「カーボン・オフセット」。留学前にインターン時代に学んだ知識を活かす場所ができたのだった。

なぜ私がインターンをすることになったのか。それを少し述べたいと思う。留学が終わる2月頃だったか、私は今後について悩んでいた。大学にいて、様々な国の人と出会った。韓国から始まり、マレーシア、中国、サウジアラビア、インド、ドイツ、フランスなど世界各国から留学に来ていた。期間も人それぞれだったが、多くはWMUへの編入生で、2年は少なくともいた。

話は少し逸れるが、留学生全体で見たとき、日本人が数十名に対し、中国人やサウジアラビア人は非常に多かったのを覚えている。彼らはこれから国の将来を担う原石であり、希望な訳だ。それは日本人だって当てはまる。でも、その数が圧倒的に少ない。数ではなく質だという人もいるだろう。しかし、ハーバード大やイエール大などの名門私立大学でさえ、日本人の人数なんぞたかが知れている。いかに日本人が海外に対して興味がなく、日本の将来が暗いかを実感した期間でもあった。

そんなこんなで8ヶ月で帰国していいのか?という疑問が私の中に起こり、「否」という答えが出た。旅かインターンかと迷った末に、腰を据えて何かに挑戦し、日本のインターンの際に成し遂げられなかった、「何かを本気でやりきる」ということに挑戦しようと決めたのだった。

インターンで取り組んだことは、大学にベストな排出権(クレジット)を探し出し、提案書を書き上げることであった。他のインターン生が共に協力してやるなかで、カーボン・オフセットについて何かしらの見識があったのは私だけだったこともあり、自分一人でも挑戦となった。

正解も不正解もない大海原の中をさまよい続けた4ヶ月間は、非常に充実していた。もちろん、他人と共同プロジェクトでやれたならば、ディスカッションが生まれてもっと良かったのにと思うこともあるが、それでも何も無いキャンバスに絵を描く様で、私は気持ちが良かった。

インターネット、書籍、フィールドというできる限りの事を全て行い、調査を進めて行った。途中、大学の二酸化炭素を削減するためのプロジェクトチームにも加えてもらえた。二酸化炭素を削減するために関係のある学部の長教授が出席する会議に出席させてもらえたことは、単語が分からず議論について行けなかった部分はあるにせよ、勉強になったことは確かだ。

4ヶ月の格闘の後、書き上げた提案書は、「今後カーボン・オフセットを考える際の重要な資料になる」と言ってもらえた。残念ながら、その資料が使用されたかどうかを知る由はない。ただ、4ヶ月間必至に取り組んで完成させた報告書の存在は、自分に異国の地でも何かを成し遂げられるという自信を与えてくれたのであった。



お世話になった、Dr.Glasserとの写真

■就職活動
アメリカから帰国後、9月から始めたのは就職活動であった。外資系企業は9月から始まると聞いていたことと、アメリカでのインターンを満足良く形で終えられた流れに乗って就職活動も終わらせようと思い、早速取りかかった。

外資系企業の説明会に出席する学生は、みな何か学生時代に面白い経験をしてきており、会う度にその話しを聞いたし、聞くことが常に楽しみだった。大手の日系企業の採用活動が解禁になるのは12月以降であったものの、ベンチャー企業などは既に採用活動を始めており、外資の就活、エントリーシートの執筆、自己分析、ウェブテスト及び筆記テストの勉強と合わせれば、暇ができることは無かったのを覚えている。

OB訪問を初めてしたのは、確か10月下旬だったと思う。前述の通り、大手の採用活動解禁日が12月にも関わらず、頑張っているからとお会いしてくださった総合商社のOBの方には、本当に感謝をしている。その方をきっかけとして、多くのOB・OGにお会いさせてもらったし、それぞれの方が持つ夢・やりがいを聞くことができたのは、非常に有益であった。ピーク時には、毎日OB・OG訪問をしていたが、それは嫌々ではなく、とにかく楽しかったからだった。

私の就職活動を語る上で、ある大手電機メーカーの社員の方を抜きにすることはできない。その方とは、大手電機メーカーの大きな説明会でお会いし、当日ずっと話し込んでしまった。後日、海外部署で働いている方を紹介してくれると言ってくれ、大阪にあるグローバル部門との電話社員訪問をさせてくれたし、ある社員交流イベントに抽選のところをこっそり入れてくれた。リクルーター制度というのを知ったのは、随分経ってからだったので、その時は本当に優しい方だと思ったし(今でももちろん優しい)、イキイキとして働く社員の方との交流を純粋に楽しんでいた。そこには、内定をもらうために良い事を言おうという自分はなく、疑問に思ったことを素直に投げかけていた自分がいた。

今、私が人生で成し遂げたいことで掲げている、「生まれた境遇で生ずる機会の格差をなくす」というスローガンは、その社員の方の紹介で知り合ったリクルーターの方に言われた言葉そのままである。ある日カフェでエントリーシートの確認をしてもらっているとき、自分のやりたい事が明確な言葉で言い表せなかった私に、ふと「齊藤くんがやりたいことって、機会の格差をなくすことなんじゃないの?」と言ってくれたのは、まさにその方だった。

その方に会えなかったならば、今の自分の明確なスローガンは存在し得ないし、ここまで胸を張って生きていないと思うと、本当に出会えたことに感謝である。結果的に私は、その会社の内定を蹴ることになってしまった訳であるが、今でもその会社で知り合った社員の方との交流はある(残念ながら、スローガンを示してくれたリクルーターの方との交流はない)。

私が就職活動を通して感じたことは、2つある。
①心の奥底から話すこと
②人をしっかり見ること
この2つだ。

①は、就職活動中自分のやりたい事、感じてきたことなど心に抱くことを正直に伝えるようにしていた。それは、嘘を付いたって仕方がなかったし、例えそんな嘘を付いたとしてもいずれバレてしまうことが明白だからだ。わざわざ時間を自分の為に割いてくれている社会人の方にできるせめてものお礼は、心に奥底から向き合うことだと信じていたのである。幸い、その姿勢に対して反発されるということは一度もたりとも無かった。むしろ「面白い」と言ってくれ、時には一緒に悩んでくれ、的確なアドバイスをくれた。就職活動を通じて、何名もの社会人の方とプライベートの付き合いが始まったのは事実である。これは、当時心の奥底から話しをし、お互いに意見交換をできたからであると思っている。もし、自分が表面的な言葉で飾り、仮面をかぶって接していたならば今の繋がりは生まれていなかっただろう。

②自分のスローガンを見つけてくれた方は、本当に人をしっかり見ていると思った。その人が持っている潜在能力やその人が気付いていないけれど持っている思い、そういうものを会話や経験、仕草の中から発見して気づかせてくれる能力は、素晴らしいと思った。そしてこの能力は、いずれ自分も必要になるであろうと感じている。どんな立場になっても、仲間の育成という仕事が消えることはないだろう。そんな時大切な事は、相手をしっかり見て、その人の潜在能力(得手不得手とも言える)や思い、やりたい事を読み取り、気づかせてあげることであろう。これから仕事を始めるにあたって、人をしっかり見ていくことを大事にしていきたいと思う。



■かものはしプロジェクト
「生まれた境遇で生ずる機会の格差を無くす」ことを人生の目標とした私にとって、社会に出る前に実際の現場でその経験をしてみたいと思うようになった。就職活動を無事に終え、卒業単位を取り終わった私にとって、大学生活の残りの期間を如何に過ごすか考えることは、非常に大事なことであった。旅、バイト、勉強、インターン、留学・・・その可能性は枚挙に暇がなかった。就職先として選んだユニクロの最終面接で言われた言葉があった。

「齊藤くんは、勉強はもういいから、もっと仲間と共に実践経験をした方がいいよ。」
(一言一句合っているとは思えない)

そんなことで、実践経験の場=インターンだと思った私は、早速以前お世話になったETICへと急いだ。自分がやりたい事が明確だったから、インターン先の団体・企業はすぐに絞ることができた(確か4つくらいあったと思う)。日本で活動する団体・企業が3つ、カンボジアで活動する団体が1つあった。

最終的にカンボジアでのインターンを決断するわけであるが、その理由は2つある。1つは、日本でインターンするならば、東京という4年間いた土地ではなく、沖縄や北海道といった遠い地域でやりたいと思っていたものの、3つの団体はどれも東京勤務であったという点。2つ目は、日本という平和ボケした国にいることに飽き飽きしており、どこか異国の地でやってみたいと思っていたことである。

そんな理由もあって、カンボジアでのインターン、すなわちかものはしプロジェクトでのインターンを志願した。エントリーシートと面接は順調に進み、無事カンボジアへの切符を手に入れた。カンボジアに行く2ヶ月前から、日本オフィスでのインターンを開始した。主な業務は、ECサイトを通じての製品販売だ。かものはしプロジェクトの主な製品販売先はカンボジアであるが、日本での販売もある程度は力を入れていた。

日本オフィスでのインターンは、日本でのスタッフと知り合えたこと、製品について知ることができたこと、日本の製品販売の状況を知ることができたことなど多くの点で良かった。また、EC販売という上司が「ある意味で」いない部署は、自由であるが重要な事項を任せてもらったと思っている。

9月1日、カンボジアに降り立った。空港に降り立った時の空気がモワッとした感じは今でも覚えているし、あの時の青木さん、亀山さん、瓜くんそれぞれの印象は、今でも忘れていない(笑)。途上国といえば、タイの農村にしか行ったことなかった私にとって、カンボジアという国で5ヶ月間過ごしながら仕事をすることに緊張と不安があったのは確かであった。

桶に水を貯めてお風呂に入るスタイルや頻繁に発生する断水と停電。ハエや蟻さんがいるなかでの食事やゴミが散らかる道路など日本やアメリカでは考えられないことばかりであった。私にとって幸運だったのは、到着してすぐに工場の女性たちとのパーティーに参加できたことだと思う(かものはしプロジェクトのカンボジアオフィスでは、1クオーター毎に女性たちとのパーティーを実施している)。そこで多少なりとも女性たちとの知り合いになれたことやカンボジアの文化に触れられたからだ。実際、そこでの経験があったからこそ次の週からの業務にスムーズに入ることができた。

業務内容は、製造部門(Production)に所属し、生産性の向上に努めて欲しいと言われた。生産性の向上などやったことも無い私に何ができるのだろうと思ったが、それが当初言われたミッションであった。後々聞くと、マネージャーが、現地代表の青木さんから自分が生産部門に精通していると伝えられていたことや、日本人は「ムダ・カイゼン」について誰でも知っていると思っていたことを知り、マネージャーと一緒に笑った記憶がある。

インターンを始めて最初の1ヶ月半くらいは、自分が5ヶ月後何を目指して業務をしていけばいいのか、悩む日々が続いた。もちろん言われた仕事をやり遂げるということは大事で、実際それもしていた訳であるが、それがどのような効果をもたらすのか、どのように現場で利用されるのかといった具体的な形を捉えられず、やる気が無くなった場面が何度かあった。

変わり始めたのは、10月下旬からだったと思う。Q2(クオーター2)の振り返り会がオフィス全体で行われ、その時に自分の役割が明確になっていったのだ。それからというものは、仕事が楽しくなり、土曜日のオフィスが休みの時でさえも工場に仕事に行くようになった。もちろん仕事をするという大義名分があったが、実際はその40%くらいは女性たちと一緒にいることが楽しかったのだと思う。

原価計算、各工程の調査、チームリーダートレーニング、ムダ・カイゼン、工場訪問者の対応など様々な業務をやらせてもらい、自分の頭で考えて行動するという能力が伸びたとともに仲間を信頼することの重要性を感じた。

カンボジア人のスタッフとの仕事は、残念ながら日本人との仕事同様にはいかない。考え方、価値観、スキルなどすべてが異なるからだ。かものはしプロジェクトは、ある程度スキルの高いスタッフを擁しているとはいえ十分ではない。しかし、そんな違いがあれど大事なことがあった。それが「信頼すること」であった。

製品製造過程のタクトタイムの計測をしたときだ。カンボジア人スタッフ2人とチームを組み、取り組むことになった。カンボジア人のうちAは、これまで良い評判を聞いたことがなかった。以前、Aと一緒に働いていた日本人スタッフは彼のことをこう言った。

「彼の言っていることは、殆ど嘘だから」

チームを組んだ時、その言葉が頭をよぎった。「大丈夫かな?」と正直思った。ただ、チームを組む前に、ある本を読んだ。その本には、リーダーシップについて書いてあった。そこに書いてあった言葉に、私は感動をした。

「人を変えたければ、相手を感動させ、一緒に感動する」

その本を読んで、近い将来ユニクロでやってみたいと思ったが、どうせやるなら今やってみようと思った。もし、すべてが違うこの国でできたならば、きっと日本でもできるはずだと考えたからだった。相手を感動させ、一緒に感度するには、相手を信頼することが大事だと考えて、とにかく信頼すると誓った。

もちろん信頼することは任せっきりにすることではない。一緒にタクトタイムの測定方法を検討し、スケジュールを一緒に決め、一緒に実行に移した。そして、ある程度慣れてきたらすべてを任せるようにしたのだ。

結果どうなったのか。Aは彼の同僚と一緒に取り組み、やり方も一緒に決めた通りにやってくれた。そして、期限内に仕事を終えて、結果を提出してくれたのである!

この仕事は、客観的に見ればちっぽけな仕事であり、かものはしプロジェクトではまだまだやらなければいけないことがたくさんある。しかし、私は自信を持ってこれだけは言える。Aを含めたカンボジア人なしには、絶対に期限内に仕事を終えられることはなかった。そして、その成功要因の一つは、私が彼らを信頼し、彼らが私を信頼してくれたからである。

「信頼すること」

それは簡単なことではないと思う。時には裏切られる時もあるだろう。しかし、私が思うに、これから日本だけでなくグローバルで働く上で重要な要素の一つに、「信頼すること」があると思う。上司だろうが、同僚だろうが、部下だろうが。日本人だろうが、中国人だろうが、アフリカ人だろうが。仏教徒だろうが、キリスト教徒だろうが、イスラム教徒だろうが。男だろうが、女だろうが。そんなことは関係ない。

「信頼すること」

それがカンボジアでのインターンで、一番の学びであった。


カンボジアでは、本当に多くの日本人にお会いした。会う人会う人が刺激的で、常に何かを学んでいたと思う。ただ、カンボジアでお会いしたすべての方に当てはまる項目4つあった。それは、「責任感」・「当事者意識」・「歴史」・「感謝の気持ち」である。詳細は、ココに任せるが、これらはおそらく一人の立派な大人になるに当たって、万国共通、少なくとも日本には必要なことであると思った。



かものはしプロジェクトの工場の女性たちと


■今後の展望
カンボジアを発った後、タイとシンガポールに立ち寄った。理由はひとつ。ユニクロの店舗に立ち寄り、現地で働く日本人の方にお話をするためであった。アポイントも無しに尋ねた店舗のスタッフの方々は、みな優しく接してくれ、喜んで話しをしてくれた。

印象的な話があった。ある店長と食事をしながら話をしていた時だった。私が、店長として一番の喜びは何ですか?と尋ねたところ、その方はこう答えた。

「色々あるけど、やっぱりスタッフが育っていくことかな。私の直近のやるべき事は、タイ人のスタッフを一人前の店長に育てることなんだ。ユニクロは、確かに服を売っている企業だけれど、同時に経営者を育てる企業でもあるからね。」

私は、はっとさせられた。「経営者を育てる」。それがこの会社でやれることなんだと思った。カンボジアに5ヶ月間いて、痛烈に感じたのが人材育成不足だ。教育の機会が平等でないカンボジアで、良い人材が育ちにくい環境になっている。そこに私自身として協力できることがあると思った。

カンボジアという土地で、ユニクロの店舗を開設し、そこでスタッフを育成していく。日本ですらユニクロでの労働経験は、就職活動の時に有利になり、日本企業がお墨付きで人材育成能力の高さを買ってくれている。もし、それがカンボジアであれば・・・と考えると、夢が広がるのではないだろうか。

私がこの5年間で仕事を通じてやりたい事は2つある。1つは、3年後にカンボジアでの店舗立ち上げに携わり、カンボジアという国での仕事を始めること。そして2つ目は、5年後に初のカンボジア人店長を育て上げることである(もちろん会社の動向によって、目標にズレが生じることは理解している)。

そのために、今、何をしなければならないのか。それは明確だ。まずは、自分が店長になり、実際に日本人のスタッフを育て上げることである。ここ5年間の仕事とプライベートのプランの詳細は下の図を参照してもらえればと思うが、とにかくこの2年間は必死こいて何がなんでも働くと決めている。

エクスパタイズしていく能力は、HRM(Human Resource Management)的なことになろうが、あまり気にはしていない。ただ、人が自分と一緒に育っていく楽しさ・嬉しさがこの上ないこと。そして、「他人を幸せにしてこそ、自分が幸せになれる」という考え方は今後も変わることはないだろう。就職活動の時に見つけた軸、「生まれた境遇で生ずる機会の格差をなくす」を達成すべく、会社で働くし、自分をより高度な次元へとステップアップするための原動力となってくれる。今は、とにかく毎日毎日、一歩一歩を大切に踏みしめていきたいと思う。



研修で同じ部屋になった仲間と。いくぞ、世界!!