身の回りがバタバタしており、ずっとブログを書く時間を取れませんでした…。 一段落して、ある程度まとまって書きたいことができたので、 今回から数回に渡ってここ数ヶ月であったこと、感じたことをありのままに伝えたいと思います。
最近、
「転職したの?」とか
「何してるの?」と嬉しいことに気にかけてくださる方が多いので、
しっかりと自分の現状を報告します。
また、入社間もなく自分の仕事に疑問を感じている人にも、何か為になる情報をお伝えできると思います。
なので、この数回のブログの対象者は、
- 「おい齊藤、なにやってるんだよ!?」と感じている方
- 入社間もなく、仕事に疑問を感じている方
流れとしてはこんな感じの内容で書きたいと考えています。
- 私が前職を辞めた理由
- 転職活動をして気づいたこと
- どうやって働く企業を選ぶべきかということ
注意していただきたいのは、 これから数回に渡って書くことは、あくまで私見だということです。 「自分の体験談に基づいて書いており、絶対的な事象ではない」ということは、大前提とさせて下さい。
私が前職でやりたかった事
私の前職は、日本ではかなり有名なアパレルの会社でした。この会社とは、学生時代の時から知っていて、CSRに力を入れている面白い企業だな〜と感じていました。就職活動時代、他の企業の面接練習になると思って選考過程に乗っかった会社に、まさか本当に入るとは思いもしなかったです。
当時の私は、
- グローバルで働きたい
- 途上国で仕事をしたい
という願望を強く持っていたので、そういう軸で就活をすることにしました。
グローバルで展開している、もしくはしようとしているいくつかの会社から内定をもらいましたが、その中でも、
「この会社の下で、途上国(特にカンボジア)で店舗を立ち上げたい!」
という目標が明確になった、この会社に入社することを決めました。
カンボジアで店舗を立ち上げて、ビジネスを展開することに成功したならば、
- カンボジアの人の成長に貢献することができる
- カンボジア政府としても優秀な人材が育ってくれることになる
- 会社としても利益を生むことができる
と考えたのです。
海外の店舗で感じたこと
私は、就活が終わってからの半年間、カンボジアでインターンをさせてもらっていました。
NPO法人かものはしプロジェクトという主にカンボジアにおける子どもが売られる問題を解決するために活動している団体でお世話になったのです。
カンボジアでのインターンを終えて、日本に帰国する際、
私はタイ、シンガポールに立ち寄って帰国することにしました。理由は、海外にある就職先の店舗に行ってみたかったからです。いずれ自分がやってみたいことを既にやっている、会社の先輩方に会って刺激を受けたかったからです。
タイでもシンガポールでも、どちらもアポイント無しでお願いしたにも関わらず、快く話しを聞いてくれました。ある人は食事に連れて行ってくれ、ある人は忙しい中、仕事をしながらも話しを聞いてくれました。
海外の店舗は、殆どマニュアル化されておらず自分たちでゼロベースで考えることをしていました。CSRやセールの決定は日本のように本部が行うのではなく、自分たちで行うという点に、「面白い!」と感じました。
今でもfacebookを通じて、現地からの投稿を見ますが、スタッフと仲良く遊んだり、コミュニケーションを取っている姿が素敵だなぁと感じています。
そんな海外での仕事の仕方を目に焼き付けて、私は帰国をしました。
日本の店舗で感じたこと
日本では奈良の店舗に配属になりました。関西弁を喋りたかった私にとっては、とても嬉しい知らせでした。日本の店舗で働いてみて、最初は楽しいと感じました。分からないことだらけの環境なので覚えることがいっぱい。手探りの中、他のスタッフの方に支えられながらなんとか仕事をしていたのです。
しかし、2ヶ月くらいが経った時、ふと
「何かちがうぞ」
と感じる瞬間がありました。その感覚は、日が経つに連れて大きくなりました。
その時は、すぐにそれが何なのか分かりませんでした。しかし、落ち着いて考えられるようになった時、それがはっきりしたのです。理由は、3つありました。
- マニュアルへの嫌悪感
- 刺激が足りない職場
- 疲れきった現場
マニュアルへの嫌悪感
企業が大きくなればなるほど、基本的にはマニュアル化を実施します。それは、利益率を上げるためには当然のことで、不思議なことではありません。ムダを徹底的に省き、右といえば右を向いてもらうためには、マニュアル化が必須なのです。
私はあまりマニュアルが好きではありません。なんだか、自分らしさを否定されるような気がするからです。
そこでは、挨拶の仕方、礼の角度、電話対応、商品の配置…殆ど全てにおいてマニュアル化がなされていました。
私がもうダメだ…と思ってしまったのは、
「ある商品Aの売上を上げるにはどうすればよいか」
を考える時でした。
コンサルのケースで出題されそうな、この課題。取り組み甲斐があると思っていました。しかし、実際に蓋を開けてみるとそうではなかったのです。
商品の配置は基本的に決まっていて、在庫数もある程度割り当てられている。POPは本部からの規定のものがあり、その設置方法も決まっている。ディスプレイもありますが、それも本部で規定されている…。つまり、自分たちができることは、せめて店頭での声出しくらいだったのです。
これって、誰がやっても同じだな…
それが私が感じてしまった点だったのです。
私はあまりマニュアルが好きではありません。なんだか、自分らしさを否定されるような気がするからです。
そこでは、挨拶の仕方、礼の角度、電話対応、商品の配置…殆ど全てにおいてマニュアル化がなされていました。
私がもうダメだ…と思ってしまったのは、
「ある商品Aの売上を上げるにはどうすればよいか」
を考える時でした。
コンサルのケースで出題されそうな、この課題。取り組み甲斐があると思っていました。しかし、実際に蓋を開けてみるとそうではなかったのです。
商品の配置は基本的に決まっていて、在庫数もある程度割り当てられている。POPは本部からの規定のものがあり、その設置方法も決まっている。ディスプレイもありますが、それも本部で規定されている…。つまり、自分たちができることは、せめて店頭での声出しくらいだったのです。
これって、誰がやっても同じだな…
それが私が感じてしまった点だったのです。
刺激が足りない職場
東京やカンボジアにいる時は、常に刺激的でした。
自己啓発のセミナーに出席したり、夢を本気で追いかける人や様々な業種の人に毎週会ったりしていました。しかしながら、職場ではそうはいきませんでした。他の業種の人と会うことはなく、夢を本気で追いかけている人も殆ど居ませんでした。
自分の夢を語ると、すごいね!と言ってくれて嬉しいかったですが、自分よりさらに上を行く存在を近くに置かないと心配になる私にとって、それは恐怖でしか無かったのです。
このままだと自分の炎が消えてしまう…。このことは私を焦らせました。
私にとって一番の衝撃な出来事は、上司が欝になって休職したことでした。その時は、欝がこんなに近い存在なんだと思い知らされましたし、怖くなりました。
その後も欝ではないものの、体調不良を訴えるスタッフが数人出てきました。
その時、ふと感じてしまったのです。この日本のシステムはいずれ海を渡って海外いくだろう。そうすると、自分が幸せにしたいはずの人たちが不幸になってしまうと。
確かにこのシステムが必ずしも海を渡るという確証はありません。しかし、いずれマニュアル化していくであろう海外も、そう遠くはない未来、日本同様になる可能性があると感じたのです。
じゃあ本部に行けばいいと思いました。しかし、残念ながら日本全国に広まったシステムを簡単に変えることはできないと思いました。きっと少なくとも3年〜5年はかかるだろうと。
しかし、残念ながら私はそこまでやる気はないと判断しました。それならば自分で彼らを幸せにできる方法を考えてやる!と思い立ったのです。
自己啓発のセミナーに出席したり、夢を本気で追いかける人や様々な業種の人に毎週会ったりしていました。しかしながら、職場ではそうはいきませんでした。他の業種の人と会うことはなく、夢を本気で追いかけている人も殆ど居ませんでした。
自分の夢を語ると、すごいね!と言ってくれて嬉しいかったですが、自分よりさらに上を行く存在を近くに置かないと心配になる私にとって、それは恐怖でしか無かったのです。
このままだと自分の炎が消えてしまう…。このことは私を焦らせました。
疲れきった現場
辞める一番の理由になったのは、コレでした。私にとって一番の衝撃な出来事は、上司が欝になって休職したことでした。その時は、欝がこんなに近い存在なんだと思い知らされましたし、怖くなりました。
その後も欝ではないものの、体調不良を訴えるスタッフが数人出てきました。
その時、ふと感じてしまったのです。この日本のシステムはいずれ海を渡って海外いくだろう。そうすると、自分が幸せにしたいはずの人たちが不幸になってしまうと。
確かにこのシステムが必ずしも海を渡るという確証はありません。しかし、いずれマニュアル化していくであろう海外も、そう遠くはない未来、日本同様になる可能性があると感じたのです。
じゃあ本部に行けばいいと思いました。しかし、残念ながら日本全国に広まったシステムを簡単に変えることはできないと思いました。きっと少なくとも3年〜5年はかかるだろうと。
しかし、残念ながら私はそこまでやる気はないと判断しました。それならば自分で彼らを幸せにできる方法を考えてやる!と思い立ったのです。
マイナス面ばかり挙げてしまいましたし、これだとただの嫌な会社に見えてしまいますが、そんなことはありません。実際働いている方の中でも、一緒に働きたい!と心の底から感じたタイとシンガポールで出会った方々がいたのは事実ですし、多くのことを学んだのですから。
そんなこんなで、転職をすることを決めた私は、仕事をしながらも転職活動を行いました。今考えると、奈良から東京を何往復もしたことは、よくやったなぁと我ながら感じますが、それほど当時は必至だったのだと思います。
次回は、転職活動中に感じたことをお伝えしたいと思います。
P.S.
そういえば、今回のブログを書いていて、『面白法人カヤック』が、
「何をするかより誰とするか」
と言っていたのを思い出しました。
同じ会社にも関わらず、海外でお会いした人たちとは、心から一緒に働きたい!と感じた。それは、私が会社の事業とかではなく、「誰とするか」の部分で、この方達と働きたいと感じたからなのだと思います。
就活の時はそれほど大切だと感じていなかった「誰とするか」。今になって、その大切さと本当の意味が分かった気がします。
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