One Direction〜自分を信じて進む者たち〜
ー第3回ー 鬼一二三さん
中央で教鞭をとる鬼先生。夜の最後の授業にも関わらず、疲れ一つ見せずに生徒に日本語を教えています |
【経歴】
鬼一二三 (おに ひふみ)
鬼一二三 (おに ひふみ)
1964年東京都生まれ。東京都立立川短期大学家政学科(現:首都大学東京)を1985年に卒業。富士通株式会社に入社。1991年に同社を退職後、ケニア共和国に在住する。1995年からカンボジアに住み始め、「一二三日本語教室」を開校。17年間シェムリアップにて日本語を教える。これまでに教えた生徒は、約2000人に及ぶ。
■ケニアからカンボジアへの旅
齊藤:今回は、第3回のOne Directionということで、どうぞ宜しくお願いします!
鬼:緊張しますね〜笑
齊藤:何言ってらっしゃるんですか(笑)。
鬼:話がよく長くなってしまうので、上手く切ってくださいね(笑)。
齊藤:いえいえ、しっかり上手く全部の話を使わせていただきます(笑)。まず初めの質問ですが、最初にカンボジアに来たのはいつなんでしょうか?
鬼:1995年ですね。それまではケニアに住んでいました。
齊藤:ケニアでは何をされていたんですか?
鬼:奥さんをしていました(笑)。ケニアは、毎日午後1時から7時頃まで、ずっと台所に立っていましたね、
齊藤:毎日ですか!?
鬼:そうです。土曜日も日曜日も含めて。
齊藤:どうして毎日立つ必要があったのですか?
鬼:毎晩お客様が来るんです。4人から8人くらいですかね。多いときでは10人以上もありましたね。
齊藤:どんなお客さんだったんですか?
鬼:主にJICAの関係の方でしたね。夫がそこに務めていたので。みんな独身か単身赴任だったので、喜ばれましたよ。
ケニアって食文化が無い国なので、4種類しか食べるものがないんですよ(笑)。しかもシチュエーションに食べるものが決まっている。パーティーの時はこれ!とか普段食べるのはこれ!という風に。だから毎日同じ料理を食べているというわけなんです。
でも、日本人の場合そういうわけにはいかないじゃないですか(笑)。他のものも食べたい!っていうことになるんですよ。ケニアには、食材は豊富にあったので、それを使って料理していましたね。
齊藤:へぇ〜スゴイですね(笑)。
鬼:本当に色々な料理しましたよ。毎日レシピを考えるのが面倒なので、レシピ本を1ページずつめくって作っていました。こんにゃくや豆腐も作ったんですよ!
齊藤:(笑)。
鬼:そんなことをしながらケニアにいて、ケニアの次の任務地にクロアチアかカンボジアのどっちにする?って夫に聞かれたんです。どっちも内戦が終わったばかりだったんですけど(笑)。
クロアチアはヨーロッパで寒いじゃないですか。でもカンボジアは温かい。私、寒いところは苦手なので、カンボジアが良いですって答えたんですよ。そしたらカンボジアになったんです(笑)。
齊藤:そんな理由だったんですね(笑)。
■私はこうやって日本語教室を始めた
鬼:ケニアから日本に帰国する前、主人が既にカンボジアで働いていたので、子どもと一緒に立ち寄るように言われたんです。プノンペン3日間、シェムリアップ3日間という感じで。そしたら旅の最後に主人から聞かれたんですよ。
「プノンペンとシェムリアップのどっちがいい?」って。
それでシェムリアップと答えたんです。プノンペンは、バイクとかで騒々しいし、グチャグチャしているから、子どもを育てる環境としては嫌だなって思ったんですよね。一方のシェムリアップは、今と違ってのほほんとしていて、住みやすそうだなって感じたんです。
齊藤:なるほど。だからシェムリアップを選んだんですね。
鬼:そうです。東京で渡航準備をしてカンボジアに出発する3日前くらいですかね、主人から電話があったんです。なんだろう?と思って聞いてみると、
「シェムリアップで日本語と英語を教えられるようにしてきてね」
って言われたんです(笑)。
私は、「良い妻」でしたから、「はい!」って答えたんですが、話し終わった後にどうしようって悩みました(笑)。日本語も英語も教えた事はありませんでしたから。
齊藤:(笑)。
鬼:とりあえず本だな!って思ったので、紀伊国屋に行って本を何冊か買って、カンボジアに来たという訳です。
それで来てみたら、机と椅子が一式揃えられていて、主人に
「遺跡修復の関係者が日本語を教えて欲しいって言っているから、教えてみればいいんじゃないかな?」
って言われたので、分かりましたと。
齊藤:ご主人は、何故日本語教室をやってもらおうと思ったんでしょう?
鬼:当時のシェムリアップには、私を含めて7名しか日本人がいなかったんですね。今は、約200名の日本人がいますけど。ケニアの時は、毎日料理をしていましたけど、こっちに来てからはその必要はありませんでした。カンボジアは食文化が豊富ですから。7名の日本人のうち、働いていなかったのは私だけだったので、教える時間は十分にあると考えてくれて、日本語教室を提案してくれたんだと思います。
齊藤:推測なんですね(笑)。
鬼:そうですね(笑)。直接聞いたわけではないので(笑)。
齊藤:カンボジアに来てからすぐに日本語教室を始められたんですか?
鬼:いえ、1ヶ月くらいはずっと部屋にいましたね(笑)。
齊藤:それってひきこもりですよね?(笑)
鬼:違うんですよ(笑)。当時家では、スタッフと一緒に住んでいたので、食事をスタッフが作ってくれていましたし、出かける用事はなかったんです。それに、外はバイクがいっぱい通っていて、怖くて外に出る気にならなかったんですよ。いつ始まるか分かりませんでしたが、日本語が教えられるように準備しなければと思って、毎日教案を書いていました。
齊藤:ではいつから日本語教室を始められたんですか?
鬼:一ヶ月後くらいからですかね・・・。ある時、カッコイイ男の子がベランダにいた私に向かって英語で声をかけてきたんです。「ハロー」みたいな感じで。それで、日本語を学びたいって言うわけです。私もいちおう準備はしていましたから、いつから来たいのか聞いてみたんです。そしたら、次の日の朝の5時45分だって言うんです(笑)。
私は、ビックリしちゃって(笑)。でも、本気かどうか確認したら、そうだって言うんで、「明日その時間に15人集まったら授業始めるよ」って伝えたんです。冗談半分ですよ、もちろん。
そしたら、次の朝、本当に15人で5時45分に来たんですよ(笑)。不思議な国だな〜って思いましたよ。
齊藤:どうやって教えていたんですか?
鬼:英語を媒介語にすればいいと言われたので、英語を使用して日本語を教えていました。ただ、やっぱり難しい英語は理解できなかったらしく、その時初めて、クメール語での説明が必要だなって思いましたね。それまでも簡単な挨拶はできるようになろうと思って、会話の本を読んだりしていたんですが、それからは授業で使えるようになろうと、少しずつ勉強するようにしました。
齊藤:いつから喋れるようになったんですか?
鬼:字を書くようになってからだと思います。こっち(クメール語)の発音って、字を書くと分かるんですよね。日本人には同じに聞こえる、「チャ」っていう2つの発音も、こっちの人からすれば全然違うんですよ(笑)。
当時5歳の息子は、なんら問題なく発音をしていましたけどね(笑)。
齊藤:ということは、結局この教室は自分でやりたい!ということで始めたわけでは無かったんですね(笑)?
鬼:そうです(笑)。夫の赴任先であるカンボジアに付いてきて、そこで日本語教室をやって欲しいと言われてやり始めたので。だから、最近カンボジアへ来る人達はスゴイな〜と思いますよ。カンボジアに日本語教えたい!とかボランティアしたい!とか、そういう目的を持っていらっしゃるんですから。
■通ってきてくれるだけで、嬉しい。
齊藤:でも、17年間続けてこられたモチベーションはどこから来るのでしょうか?
鬼:続けようと思ってないですよ(笑)。毎日が楽しくて、それがずっと続けられている理由なのかなって思います。
齊藤:何が楽しいんですか?
鬼:毎日、カンボジアのイケメンに会えることですよ(笑)。
齊藤:(笑)
鬼:だって、ほとんどの生徒は知ってるんですよ、先生はイケメンが入ってくると嬉しそうだっていうこと(笑)。それで、先生は、女だから女より男の方が好きよ、普通のことでしょうって生徒たちに言うんです。
バレンタインの時なんて大ブーイングですよ(笑)。男の子にはチョコあげるのに、女の子にはあげないから(笑)。
でも、本当に嬉しいのは、毎日みんなが通ってきてくれることですよ。ここへ来るときの道、舗装されてなくてガタガタだったでしょう?今日は、雨が降っていないからいいですけど、雨が降ったときなんて、道が最悪ですよ・・・。街灯もありませんから早朝も夜も真っ暗なんです。それでも通ってきてくれる。こんな嬉しいことはありません。
齊藤:なるほど。
鬼:うちの学校は、土日は休みにしているんですけど、祝日は授業をしているんです。生徒たちは、祝日でも普通に何らかわりなく来てくれるんですよ。ある生徒なんて、
「学校が祝日で休みだから、今日は一日中日本語を勉強するぞー!」
って言ってくれて、嬉しいですよ。本当に。
齊藤:なんでそんなに頑張って勉強していると思いますか?
鬼:みんな目的があるからだと思いますよ。日本語を勉強して、何かしたいっていうのがあるからなんですよ。
齊藤:みんな何をやりたいのでしょうか?
鬼:昔は観光業、特にガイドだったんですけど、今は少しずつ変わってきています。まぁ、シェムリアップはそんなこと無いですが、プノンペンは日本企業が入ってきているので、そこで働きたいとかですね。あとは、日本に留学したいっていうのもあります。
齊藤:生徒獲得のために、何かされていることはあるんですか?
鬼:いえ、何にもしていません(笑)。一人の男性がうちで日本語を習って、職を得たとしますよね。そしたら、その男性が今度は、給料から授業料を出してやると言って、彼の弟や甥っ子を学校に連れてくるんです。
「うちの弟だから、よろしく〜」みたいなノリで(笑)。なので、自然と集まってきてくれるんですよ。
人数で言えば、1週間に5人とかが来てくれますね。もちろん、辞めていく方もいるので、増えすぎるということはありませんね。辞めていく方も、基本的に職を得たからという理由です。
あまり、外には出ないんですけど、ちょっと市場に行ったりすると、
「先生〜!」なんてよく声かけられますよ(笑)。
ちょっと前に卒業生を調べて欲しいってことだったので、調べたら2,200人いましたね(笑)。
齊藤:スゴイですね・・・(笑)。
鬼:ええ。だから、色んな所で活躍してくれているんだと思いますよ。
秋篠宮殿下ならびに同妃殿下も御来校されている教室です |
■辛い過去を乗り越えて
齊藤:仕事で辛かったことってありますか?
鬼:仕事で辛いことはないですね(笑)。
齊藤:ないんですか??(笑)。
鬼:逆に齊藤さんはありますか?もちろん、大変なことはいっぱいありますけど、楽しさの方が大きいので、辛いと思ったことはないですね。
ただ、プライベートで夫と離婚した時には辛かったです。1ヶ月間はずっと泣いていましたから。中学生の頃から、お嫁さんになるのが夢だったんです。中学を卒業するときも、高校を卒業するときも、大学を卒業するときも、次のステップに行かないでお嫁さんになりたいってずっと思っていたんです。
そして、離婚っていうのは人生で一番してはいけない事だったんですよ、自分の中で。子どもが可哀想ですからね。そういうこともあって、辛かったですね。
齊藤:どうやって立ち直ったんですか?
鬼:泣いていた1ヶ月間でしたが、授業が始まる1時間前とかには自然と泣きやめたんです。授業が終わったあとは、泣いていたんですが・・・。せっかく通ってきた学習者の皆さんをがっかりさせてはいけないと思っていたんです。また、1ヶ月間経った時に、団体のお客様をシェムリアップとプノンペンに案内しなければならず、それをきっかけにようやく泣き止みました。
齊藤:仕事で気を付けていることはありますか?
鬼:一つは、言葉だけではダメだということを教えています。言葉っていうのは、コミュニケーションをする、一つのツールなんですね。でも、あくまで複数あるうちの一つでしかない。言葉以外にも態度や姿勢が必要だなって思いますね。たぶん、言葉を教えているから尚更それを実感するんだと思いますが・・・。
もし、言葉だけに依存していたら、知らない単語があったらその時点でコミュニケーションがストップしてしまいます。でも、それじゃダメなわけですよね。じゃあどうするの?っていう部分を考えなければいけないのです。
二つ目は、綺麗であろうとしています(笑)。
齊藤:(笑)。
鬼:だって、教わるならば先生が綺麗な方がいいでしょう(笑)?私だったら、教わるなら、男の先生で且つカッコイイ人がいいと思いますよ。そっちの方が、勉強したくなりますよ。
齊藤:今後の事業はどんなことを考えていますか?
鬼:この学校が早く完成することですね(笑)。まだ建設中なので・・。建設に使う支援金がまとまってきた時に、その範囲内で建設するんですよ。今は次回分が未定なので、いつ完成するかは分からないのですが・・・(笑)。
齊藤:ファンドレイジングはしないんですか?
鬼:そんなことをする時間がないですね(笑)。一日中ここで教えているわけですから。
ただ、いろんな方に言われて、東京にNPOを立ち上げたんですよ。でも、私はここ(カンボジア)にいるので、特に日本で活動できることもなく、年に1回の総会も知り合いが集まる程度ですね。
■自分の役割を理解する
齊藤:今後の人生はどう考えているんですか?
鬼:あまり深く考えていないですよ(笑)。よく人から、カンボジアに骨を埋めるのか?と聞かれるんですが、それもあまり考えていない。カンボジアで日本語を教えてほしいという需要がある限り、私は教え続けます。
私たちは外国人な訳ですから、この国のお役に立てれば、居る権利があると思いますが、お役に立てないのであれば、この国に居る資格なんてないんじゃないかなと思います。
富士通に勤務していた時、5万人くらい社員がいました。働いている時に休みをとると、休みから帰ってきた時に仕事が溜まっていて、自分が組織の中にいる価値を感じていました。でも、私が辞めた今でも富士通は残っていますよね?要は代わりが効くんですよ。
じゃあ、今の状態はどうか?
今、朝から夜まで一人で先生を出来る人がいるかと言われたら、いないんですよ。先日、南海キャンディーズの静ちゃんが来てくれましたけど、半日授業を見学して、授業はしていないのに、ただ立っているだけでもすっごく疲れたと言っていました。それを考えると、1日中こうして日本語を教えられる存在は、すぐには見つからないと思いますよ。
齊藤:今後のカンボジアはどうなると思いますか?
鬼:カンボジアよりも日本の方が心配ですよ(笑)。首相が変わって選挙があるわけですよね?今後の日本ってどうなるんだろう?って、そういうのをクラスのみんなと話してるんですよ。
カンボジアについていうならば、もっと多くの日本の会社がカンボジアに入ってくる。その時に備えて、ビジネス日本語をカンボジア人に教えてます。ガイドだけじゃない選択肢が増えたときに、すぐに対応できるようにしています。
齊藤:最後に若者に一言をお願いします。
鬼:ゆとりの弊害なのかもしれませんが、もっと勉強してって思いますかね(笑)。
バーチャルな世界に慣れすぎている気がします。やらなくても、行かなくても、なんとなく経験出来ちゃう。それが良くないな〜って思います。
今、「デパートじゃなく化学のイオンが何か」とか「絹が何からできているか」とか大学生に聞いても分からないんですよ(笑)。
齊藤:僕もイオンは、理解してないですね・・・(笑)。
鬼:ほら!(笑)今はインターネットで何でも検索出来ちゃうでしょ?でも、それって誰でも出来るわけですよ。バカでもね。
だから、例えば「今の政治は悪い!」なんて誰かが書くと、簡単にそれが正しいことなんだと思ってしまうわけです。考えることをしないんですよね、要は。何かあると、すぐにインターネット。これは怖いな〜と思います。
勉強してないから分からない。分からないから本が読めない。本が読めないから、すぐにインターネットで分り易い論調に乗せられてしまう。そんな流れがあると思いますよ。
今からでも遅くないから、基本的なことを学んで、自分で考えるっていうことをして欲しいと思います。私は、カンボジアにいながらも玉川大学の通信教育を受けています。今では、小学校の先生の資格や司書の資格を持っています。
常に学び続けることを、大切にして欲しいと思いますね。
齊藤:本日は、ありがとうございました!!
ー編集後記ー
17年という長い期間、カンボジアに住んでいらっしゃる鬼先生。日本を離れてから、ケニア→カンボジアと過ごした人生の中身は、2時間というインタビュー時間の中でも、その濃さが伝わってきた。波瀾万丈な人生を乗り越え、今の教室を構えている鬼先生の姿は、まるで戦国時代を生き抜いた将軍のように、腰が据わっていた。
先生からの若者へのメッセージは、非常に私の心に突き刺さった。というか、自分の生活を見透かされたような感覚だった。インターネットがあれば、何でも出来る時代。パソコンを持ち歩いていれば何でも出来る時代が来てしまっている。確かにインターネットやパソコンは、我々の生活を便利にしてくれた。しかし、それは同時に、我々が苦労する、現場を見るということを取り除いてしまったのだと思う。苦労して本を読む。苦労して勉強する。実際の現場に行って起こっていることを自分の目で確認する。そんな大変なことをしなくても、すべてインターネットが解決してしまうのだ。
どうやら私たちは、インターネットやパソコンという便利な道具に助けられすぎているのではないだろうか。私たちがそれらを使うのではなく、逆に私たちが使われているのかもしれない。
苦労することは、時間がかかることだ。現場に行くことは、時間がかかり、時には危険な目に遭うリスクもある。しかし、そういう経験こそが人を成長させるのではないだろうか。効率化が叫ばれる社会だけれど、効率的でないことも重要性を再度認識しなければならない時が、来ているのではないだろうか。
きっとこの考え方は、これからどんなに便利な世の中になっても、忘れてはいけないことなのだと私は信じている。
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