Sunday, December 9, 2012

観光というビジネスは、本当に善か?

12月5日水曜日、かものはしプロジェクトのオフィスにて、かものはしプロジェクトのインターン生主催の勉強会が実施された。今回のテーマは、「観光」。講師は、日本国政府アンコール遺跡救済チーム(通称:JST)が、カンボジア政府と協同で結成した、JASAで働く吉川舞さん(以下、舞さん)であった。

舞さんについての情報は、
・『毎日留学ナビ』(http://ryugaku.myedu.jp/edit/hw/hw3.html
・『ベトナムフエで仕事をつくる(個人のブログ)』
http://yattsu20.vietnhat.tv/e6998.html
でチェックできる。

話の内容は、カンボジアにおける観光のあり方であった。これまでの観光業の歴史とそこから見えてくる今後の方向性について話しをしてくれた。

1960年から2000年にかけて、マスツーリズムからというツアーの方法が主流であった。誰もが同じ観光地、同じレストラン、同じホテルで過ごし、海外を満喫した。おかげで、規模の経済から観光に対する人々のハードルは低くなる。つまり、料金が安くなったのだ。

マスツーリズムが、観光業にもらたした影響は実際に大きい。しかしそれには良い面と悪い面がある。

良い面で言えば、旅行の低価格や経済的な発展だ。実際、カンボジアは観光業で国が支えられていると言っても過言ではない。2008年の統計では、外国人を含む210万人の観光客によりホテル・交通機関・レストランでGDPの約10%弱を占めている・観光客による産業収入の影響は、小売業やホテルなどの建設業まで含めると、カンボジア経済の約20%を占めると予測されるという。
(『カンボジア王国投資ジャーナル』:
http://cambodia.ganesh-partners.co.jp/blog/2011/07/01/cambodia_tourism/)。

一方での悪い面は、観光客による環境汚染や観光施設の建設のための自然環境破壊、より多くの観光客(ゲスト)に受け入れられるための商品やショー・見世物を演出することによって起こるホスト側の文化変容が挙げられる。

これらの悪い面を改善すべく、提案されたのが2000年以降に流行し始めるオールタナティブツーリズムであった。その中でもエコツーリズムは、そのカテゴリーの一つで、読者は最低一度はどこかで聞いたことのある言葉ではないだろうか。

エコツーリズムでは、自然環境の他、文化・歴史等を観光の対象としながら、その持続可能性を考慮する。マスツーリズムでの悪い側面を改善しようと考えられたアイディアとしては、妥当なものであると言えるだろう。

ただ、今回の勉強会の中で私が思ったエコツーリズム(広く言えば、オールタナティブツーリズム)の難しさは、この「持続可能性」であると思う(この点は、勉強会の中で議論になり、非常に有益な時間だった)。

マスツーリズムが問題視された理由は、本来ホストである現地側が、ゲストである観光客側の要望に答えようとするあまり、その力関係のバランスがおかしくなったためであると考える。もっと言えば、ホストが持っているキャパシティ以上のことを、お金欲しさに行ったために、そこ弊害が生じたと考えられるのだと思う。

マスツーリズムで問題とされた、自然環境破壊はその典型的な例であろう。ホスト側がコントロール出来る以上のゲストがなだれ込んだ結果、コントロールの外に漏れたパワーが、現地の自然環境に悪影響を与えたのだ。

では、エコツーリズムではどうなのか?
エコツーリズムであれば、絶対に悪影響を現地に与えないのだろうか?

私はそうは思わない。私は、たとえ最初はエコツーリズムがある場所で成立したとしても、きちんとその観光をコントロールしなければ、時間が経つとそのエコツーリズムは、マスツーリズムに変貌する可能性があると考える。

その時に大切な事は、2つあると考えている。
一つは、ホスト側がしっかりと自分たちのコミュニティを管理し、自分たちのキャパシティを超えるゲストを招き入れないこと。
二つ目は、ゲスト側を引率するツアー会社がホスト側と綿密に連携を取り、キャパシティを超えるようなツアーを作成しないこと。

ただし特に前者は、言うは易く行なうは難しである。例えば、先進国ではあまり問題ではないが、途上国の場合どうしてもお金という点は大事な側面だ。1日農業をして得る収入よりも、1日観光客を受け入れて、現場を案内したり、商品を販売する方が実際には利益が上がる場合が多い。そうなると、コミュニティの経済的な発展を第一に考えがちなトップ達は、経済を良い方向に導いてくれる、甘い蜜(観光)に飛びつきたくなってしまうのが現状ではないだろうか。

実際、今回の勉強会の際に出席していたカンボジア人から、アンコールワット周辺はここ数年で随分変わってしまったという嘆きを聞いた。要は、これまでの歴史的な景観から、観光客目当てのおみやげ中心の景観に変わってしまったと言うのである。

シェムリアップは、人口約80万にも関わらず、観光客は年間約200万人だと言われている。この数字を見るだけでも、この都市がどれだけ「観光」という甘い蜜に飛びついてしまっているのかが分かる。

カンボジアへの観光客数は、増加の一途を辿っている
http://cambodiatousi.blog89.fc2.com/blog-entry-6.html


今回の勉強会から考えた「観光」についての考察はこうだ。

「観光」は、あくまで国やコミュニティの経済を少しばかり支える存在程度でなければならない。つまり、私の理論から言えば、観光がメインの収入源になることはあってはならない。そうなった途端に、その国やコミュニティの文化や環境は、外部からの影響によって破壊されていくだろう。

そしてなによりも、その国やコミュニティを管理する者が、「観光」の危険性を理解し、常にコントロール出来るスキルを持った人間でなければならない。自分の出世や金のこと、もしくは国やコミュニティの経済的発展しか頭にない人がリーダーになった場合、その将来の姿は決まったも同然である。

日本は、現在「観光立国」として諸外国に日本のアピールを行っている。途上国と違って、先進国の日本はそこまで「観光」からの収入に固執することは無いと思うが、それでもその危険性を理解し、自分たちのキャパシティをわきまえ、しっかりと外部からの影響をコントロールしようとしているのかは、疑問である。

いち日本人として、「観光」という側面での今後の日本の動きには注目したいと思う。


勉強会の講師、舞さんが師匠と呼ぶ、小林天心氏の著書。
今後の観光についてどうあるべきかが述べられている


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