大学で東京にいた時には全く興味のなかった東京スカイツリーでしたが、関西に来てみて、今後行く機会がないだろうと思い、予約をして行ってきたのです。
平日夜のスカイツリーは、空いておりゆっくりと観覧できます。 |
東京タワーや東京都庁など、高い建物には何度も訪れたことがあったので、正直同じ感じだろうな〜と思っていました。
「どうせ高さが違うだけなんだろう・・・」
そう思って行ってみたのです。これまでの経験と違うところと言えば、今後の人生を共にしたいと思うパートナーと行ったという点。ただそれだけでした。
実際に行ってみて、正直感動しました。というか考えさせられました。地上から何百メートルから見る光景は、これまでに何度もありました。その時々に、「綺麗だな〜」と思うことも何度もありました。
ただ、今回は何か違うのです。心の奥底から込み上げてくるものがあったのです。
関西で仕事を始めて、早3ヶ月が経とうとしています。このままの仕事を続ける限り、基本的に東京で働くということはないと聞いています。今回のように研修という形で東京に来て、東京スカイツリーに行くということは、今後ほぼないでしょう。
そう考えるとき、ふと東京スカイツリーのデッキで感じたのです。
「あれ?もしかしたら、東京スカイツリーから見られるこの景色は人生で最後かもしれない。」
ここから、ディズニーランド、さらに房総半島まで見渡せます! |
24歳の私は、まだまだ人生があると思っていましたが、この景色を見られるのが人生で最後かもしれないと考えると、なんだか不思議で寂しい気持ちがしたのです。ましてや、その時のように大切な人と、彼氏ー彼女という関係で訪問できるのが最後だと考えると、またさらに不思議で寂しい感じがしたのです。
と同時に、この今(瞬間)を残しておきたい!という衝動にも駆られました。24歳という今、彼氏ー彼女という関係という今、2人で居る今などなど、その時にしかない今を、「写真」というツールで何としても残したい!と強く感じたのです。
「写真」は、小さい頃から身近な存在でした。カメラ好きの父は、よく写真やビデオを撮っていました。私自身は別に興味がなかったので、一眼レフがいい!と思って高額なカメラを購入したのは最近のことです。それでも、なぜ「写真を人は撮るのだろう」と考えることはありませんでした。ただなんとなく撮影していただけなのです。
大学時代、横浜の寿町というところでフィールドワークをするゼミに所属していました。慶應大学との合同ゼミで、合同ゼミのあとは常に懇親会という名の飲み会が開催されていました。その際に、一人の写真家、黒田光治さんに出会いました。黒田さんは当時、寿町というホームレスや年金生活で暮らしている高齢の方々の写真を撮影するという活動をされていました。
(「寿町」について詳しく知りたい方は、こちらから)
身寄りや家族がおらず生活している高齢の方々の写真を撮ることは、なんとなくいいことだな〜と当時は感じていましたが、深くは考えていませんでした。
しかし、今回東京スカイツリーに行って、その活動の意味が少し分かった気がするのです。
「写真」を撮影することで、「今」を「未来」に残すことができます。「今」は瞬間的に「過去」になり、二度と戻ってきません。東京スカイツリーに行った「今」を撮影したのも、「未来」に向けて、「今」を撮影しておきたかったからです。
将来二人に子どもができて東京スカイツリーに行ったときに振り返られる為に・・・将来二人が年老いて若い頃の自分たちを思い出したいと思ったときに振り返れるように・・・。
「今」を写真に残すことは、「未来」で「今」の自分を認識することができる。自分の生きた証を「未来」に残すことができるのです。
黒田さんの活動は、寿町に住む方々の「今」を撮影することで、「未来」のために生きる勇気・意義を与えようとしているのではないか、例え自分がいなくなっても自分が生きていた証を「未来」に残して、少しでも寿町の方々の寂しい気持ちを緩和させられることが出来るのではないか、と思うのです(黒田さん、違っていたらごめんなさい・・・)。
そんなことを考えながら、私は今日も写真を撮り続けています。「未来」の自分に、「今」の自分を認識できるように・・・。
「今」を大切に。 |