Saturday, February 23, 2013

年を取ったらどうするか?


年を取ったらどうするか?




久しぶりのブログ更新です。

カンボジアから帰国し、地元に戻ってきました。そして明日、勤務地奈良へ発ちます。
2月上旬にインフルエンザで入院してしまった祖父(以下じーちゃん)を見舞いに行った際に感じたことを、ここに綴ろうと思います。

■生きる目的を見つける
今日、「年を取ったらどうするんだろう」って考えました。

というのは、じーちゃんが入院していて、見舞いに行った時にベッドに「ぽつーん」といるじーちゃんを見たのです 。

なんだか分からないのですが、その時ふと、なんだか淋しいなぁと感じてしまった自分がいたのです。それでなんでだろうと思いました。

少し考えてみて思ったのは、たぶんそれは、何かの生産者じゃなくなったからなのかな、ということです。

どういうことかというと、例えば1ヶ月後の俺自身や社会で働く方々は生産者であって、モノを製造したり、サービスを誰か(会社やお客様)に提供してその対価として給料をもらっています。

もしくは、奥さんでもいれば、奥さんを幸せにするっていう目的の下、色々なことをして喜ばせようとするわけだです。そこにはお金は発生していないけど、いうなれば、「愛」を生産しているとも言えるのではないでしょうか。

今のじーちゃんをみると、そんな何かの生産者じゃなくなっていて、何のために生きるのかっていうのが強く感じられないでいるのです。もちろん、直接聞いたわけではないので、もしかしたら何かのために生きているのかもしれないけれど・・・。

世間では、年取ってから配偶者が亡くなると続くように本人が亡くなったり、定年退職したあとにポカーンとしてしまうことがよくあります。それはきっと、自分が生きる目的が突然無くなって、何にために生きるのかが見いだせないからなんじゃないかなって考えたのです。

だから、年を取って一段落した後も、何を目的にして生きるかを考えることは非常に大切で、いずれ年を取る俺ら若者も、考えなければいけないのだと思う。







■生涯社会貢献
そんで、俺は何するかって考えたのです(笑)。

俺は、何歳になっても仕事を続けて社会に何かを生産し続けたいなって思います。小倉昌男という、昔の運輸省と戦い運輸業の可能性を広げたと共に、ヤマト運輸を急成長させた人がいます。小倉さんは晩年、スワンベーカリー(※)という障がい者が働けるお店を立ち上げた人物で、死ぬまでそのスワンベーカリーを成長させることに腐心していました。
(※)スワンベーカリー:日本の障害者人口は約724万人と言われており、働けるようになった障害者の大半は、1ヶ月1万円以下という給料で働いている。スワンベーカリーは、パンの販売を通じて障害者に働いてもらい、月給10万円以上を障害者に支払うことの可能性を実証したヤマトホールディングスの子会社である。現在全国に28店舗を展開する。http://www.swanbakery.jp/

そんな生き方を見ていて、俺も死ぬまで社会のためになるっていうことを追求したいと思うのです。もし、そういう強い意思があれば、たとえ入院しても、「ぽつーん」と1人で病室にいても淋しい感じを漂わせることはないのだと思います。なぜなら、目的達成のために、病室にいたとしても何かをしようとするでしょうから(パソコン一つあれば何でもできるだろうし、将来は技術の進歩でより高度なことができるようになるはず)。

この世の中にいる全員が全員、そうやって生きるべきだとは言いません。あくまでその人の人生ですからね。でも、どんな年になっても生きる目的を失わなければ、きっとイキイキと生きられるだろうし、一生青春を謳歌できるんだろうなぁって思います(※)。
(※)青春:故松下幸之助の言葉。「青春とは心の若さである 信念と希望にあふれ勇気にみちて 日に新たな活動をつづけるかぎり 青春は永遠いその人のものである」